石見銀山の歴史を体感しよう!
石見銀山 世界遺産センターの特徴
石見銀山の歴史を深く学べる展示物が充実しています。
入館料310円で、世界遺産の魅力をしっかり網羅できる施設です。
ガイド付きツアーの大久保間歩は、特別な体験ができる素晴らしいプランです。
鉱山アクセスのための駐車場満車の場合ここからバスに乗り村まで出る事となります。バイクは満車表記があっても誘導係の方が隙間に駐車させてくれることも多いのでとりあえずは最短駐車場に行ってみることをおすすめします。ビジターセンター内には有料の展示コーナーもありますが無料の展示だけでも概要分かる為立ち寄る価値はあります。
奥にある展示物見学は入場料310円です。手前展示物見学は無料です。銀山に関する展示物は色々ありました。銀山坑道(間歩)見学はこちらの、駐車場からバスに乗って行きます。乗車時間は5分位かと思います。坑道間歩 、見学の前線基地といった所ですね。有り難うございました。😀
まず最初に石見銀山へ観光に行かれる方々へ、駐車場が街中の石見銀山公園の所や他の小さい駐車場はほぼ早い時間に満車になります、石見銀山世界遺産センターには大きな駐車場があるのでそちらがオススメです。⭐️銀山はかなりの坂道(山)なのでレンタサイクル(電動)を借りた方が絶対オススメです。⭐️町並みだけの観光なら徒歩でもOK!⚠️要注意⚠️1枚目の地図で石見銀山公園にレンタサイクルのマークが有り、自分は大森バス停で降りたのですが、レンタサイクルはもうやっていないとの事‼️😭レンタサイクルは大森代官所跡バス停下車のレンタサイクル河村さんだけなので、お間違いなく。見所沢山の石見銀山だったので、皆さんも楽しんで下さい。😋中田商店さんのごまどうふは箸で切るときは凄い弾力なのに、口に入れるとごまの風味と甘味の後にジュワっと水分?旨味?が出て、とても美味しかったのでオススメです。
センター内には、世界遺産とされている場所の模型があって、指定場所のボタンを押すとその場所が光るというのがありました。行った日には、カートがやってなくてレンタル電動自転車を借りました。天気にも恵まれ、とても気持ち良く、洞窟のある場所までサイクリング出来ました。古い街並みもそれなりの雰囲気あり。洞窟内は、真夏にも関わらず凄くひんやりして涼しかったです。一度は行った方が良いと思います。途中で、げたのは、という名前の焼菓子と銀山飴が売ってる店がありました。多分、ここてしか売って無いです。
石見銀山に関する知識がほとんどなく、平日夕方に訪れました。この場所が石見銀山跡地と勘違いしてましたが、ここから銀山地区まで徒歩かシャトルバスで行かないとダメで、立ち寄ったタイミングではいけずに断念。(車では行けない構造)なかなかアクセスできませんが、次回に延期にとなりました。代わりに世界遺産センターでしっかりと石見銀山のことを学んできました。平日夕方という事もあって、ほぼ貸し切りだったので子供三人連れてしっかりと見て回ることができました!!
世界遺産でもある石見銀山の歴史などを見ることができる施設です。石見銀山は長い歴史があり、豊臣秀吉などの有名な武将もここから銀を採掘していました。30キロの銀塊を持ったり貴重な体験ができました。
1600年代の繁栄が理解出来て、良いといえばいいのですが、銀の産出に片寄っていて、展示内容に人の暮らしが感じられず、奥行が無いように思いました。ツアーがあって坑道の体験が出来ますが、1度に参加出来る人数が少ないので注意しましょう。
石見銀山の坑道そのものを見に行くのは大変(アクセス的に)なので、とりあえず来たよ感さえあれば良いならここだけ見とけば良いと思います。普通に資料館としてはイロイロまとめられていると思います。WAONで払うとちょっと割引になります。
世界から注目を集め、戦国時代に常に要所として扱われた銀山の歴史を学べる場所です。
名前 |
石見銀山 世界遺産センター |
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ジャンル |
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電話番号 |
0854-89-0183 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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バスでセンターに着いたら、ガイドツアー(定員10名、事前予約制)にまだ空きがあることがわかり、参加させていただきました。センターからバスで10分ぐらい山を登り、そこから徒歩で、大久保間歩に向かいました。長靴に履き替え、ヘルメットを着け、ライトを手にして入った間歩の中は、どうやって人の手でこれだけ掘りすすむことができたのか驚嘆の連続です。佐渡金山、足尾銅山の坑道も見学したことがありますが、スケールの大きさに圧倒されました。また、ここで働いていた坑夫たちの給料は比較的恵まれていたものの、平均寿命は30歳。粉塵被害を避けるために、マスクも発明されていたそうです。マスクには、梅干をすりつぶして塗り、粉を吸い込まないような工夫をしたとのこと。この山の中に、数万人が生活していたというから、驚きです。