昭和初期を感じる武家屋敷。
武家屋敷 河島家の特徴
昭和初期の調度品が展示され、時代を感じる体験ができる場所です。
1800年初頭に建てられた代官所地役人の屋敷で歴史を感じられます。
昔の生活様式や収納方法を学べる貴重な体験が魅力的です。
武家屋敷ということで、かなり部屋数の多い広い邸宅のようですね。また、階段などはかなり狭く急でした。昔の生活状態がよくわかりますね。
昔の役人の家を拝見することが出来ました。階段が急な所も古い建物という感じですね。小さいながら庭がきれいでした。
「大森町:武家屋敷・河島家」2016年4月に訪問しました。史跡巡りが好きで、石見銀山はまさにそれらの宝庫なので訪問できて良かったです。この武家屋敷は、1800年初頭に建築された代官所地役人の遺宅です。河島家は、代々大森に移住して銀山経営や銀山領内の支配にあたっていました。主屋は当時の文献などから町並みの大半を焼失した寛政12年(1800年)の大火後に再建され、その後、文政8年(1825年)までに増築されたと推定されるそうです。住まいは、通りに面して門塀を設けており、門をくぐると式台付玄関を備える主屋が正面に見えます。主屋は平屋建てのように見えますが、土間と納戸の上に二階が設けられ、接客用の座敷は庭に面しています。上級武士の構えと銀山附役人の屋敷の特徴をよく顕していることから、1993年に大田市指定遺跡となりました。
旧河島家住宅にも寄りました。上級武士の暮らしを伝えるために唯一公開された武家屋敷でもあり、1800年初頭に建築された代官所地役人の遺宅です。河島家は、代々大森に移住して銀山経営や銀山領内の支配にあたっていました。住まいは通りに面して門塀を設けており、門をくぐると式台付玄関を備える主屋が正面に見えます。主屋は平屋建てのように見えますが、土間と納戸の上に二階が設けられ、接客用の座敷は庭に面しています。上級武士の構えと銀山附役人の屋敷の特徴をよく顕していることから、1993年に大田市指定遺跡となりました。主屋を再建したころの当主は、五代目徳兵衛、六代目三郎右衛門です。河島家中興の祖といわれる三郎右衛門は1808年に父徳兵衛の跡職相続が許され、切米三十俵三人扶持で銀山附役人を申し渡されています。1810年に山方掛を命じられ、最後は組頭まで歴任し、1858年に没しています。なお、主屋に使われていた建具の下張りから1857年に大浦湊(大田市五十猛町)に漂着した異国船に関する文書が見つかっているようです。この時、三郎右衛門は漂着した異国人を長崎まで送り届けたようです。
他の地域の武家屋敷と違って、座敷の中まで靴を脱いで入ることができます。当時の生活の豊かさを伺い知ることができます。
タイムスリップして、昭和初期に戻ったかと思えるほど数々の時代を感じる調度品が保管展示されている。世界遺産ブームが落ち着いて、静けさを取り戻した町並みも、ゆったりとした時間の流れを見せてくれて嬉しい!
武家屋敷の生活を知ることが出来ます🏠
入場料が必要ですが、撮影が許可されている珍しい場所です。銀山の町として栄えていたころの家具や食器、庭園などが見れます。箪笥を兼ねている階段も登ることができ、登った先には鎧などが展示されています。手すりがない上には急なので、足腰の弱いかたは十分ご注意を。
熊谷家入場券が有れば100円引きです。
名前 |
武家屋敷 河島家 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0854-89-0932 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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ひととおり、街並み見学したあと立ち寄りました。解説動画もありました。