静かに参道を歩く、歴史の息吹。
殖田神社の特徴
畑の中を北へ真直ぐに延びる参道は魅力的です。
NHKで全国放送された神社の建て替えが話題です。
静かな石燈籠に囲まれた神社で特別な時間を過ごせます。
静かな、自分一人じめできる石燈籠の素敵な神社ですよ。願い事も聞いてくれそう(^^)
南国市植田地区にある神社。領石から香美市線の道路から北に入ります。真っすぐ北に伸びる参道の両サイドに石燈籠が鎮座しており、荘厳な雰囲気を醸し出しています。入口は南側と北東側の2ヵ所から入ることができます。地元の方々によって信仰されて大切にされている神社です。
参道が結構長いです。石燈籠の数が、ハンパないです。比較的新しく、これだけの神社を建てるのは、氏子さんの信仰心のあつさでしょうね、えら~~い🐱
地元住民で出資し神社を建て替え、それがNHK で全国放送されました。
畑の中を北へ真直ぐに参道が延び松林へ続いています。松林の中の参道には多くの燈籠が並んでおり、おとぎ話に出てくるような景色につい引き込まれます。
| 名前 |
殖田神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
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殖田神社(うえたじんじゃ)。高知県南国市植田。式内社(小)、旧郷社。【祭神】阿遲耜高日子根命資料によると、創祀年代は不詳。社殿には、長らく呼ばれていた「高賀茂大明神」の扁額があり、御祭神は土佐神社と同じ、高鴨神で、阿遅鋤高日子根神。『続日本紀』神護景雲2年(768年)11月18日条に、「土左國土左郡人神依田公名代等卅一人賜二姓賀茂一」とある。同年同月26日条に、「従五位上賀茂朝臣諸雄、従五位下賀茂朝臣田守、従五位下賀茂朝臣萱草賜二姓高賀茂朝臣一」ともある。これらを踏まえ、谷秦山は『土佐國式社考』で、殖田と大田との近似から、大田田禰古との関係を指摘、賀茂氏が殖田に味鈻高日子根命を奉斎した、と説を展開する。当地は『和名類聚抄』長岡郡条に見える植田郷の中心地で、加茂氏(賀茂氏)が居住していたと考えられ、当社もこの穀倉地帯を支配した賀茂氏の関連社である。『日本三代実録』貞観8年(866年)5月22日条に、「授二土左國従五位下殖田神従五位上、正六位上殖田上神(中略)並従五位下一」とある。このうち、当社は殖田神に相当するとされ、殖田上神について、谷秦山は背後の山中の若宮社に比定される。中世では山田氏や長宗我部氏の支配地で、 『長宗我部地検帳』によれば、長宗我部一族の比江山掃部助親興の給地が多く、土居の注記も見え、比江山氏の崇敬を受けた。延宝3年(1675年)11月、貞享元年(1684年)9月、元緑7年(1694年)11月、元禄14年(1701年)12月、寛保3年(1743年)3月に造営の記録が残る。江戸時代後期の弘化4年(1847年)には山内豊矩が額を奉納した。明治元年(1868年)、現社号に復称し、明治5年(1872年)には郷社に列した。平成19年(2007年)、本殿、弊殿・拝殿一棟造りで改修を始め、拝殿の前に向拝場所を造り、本殿のみ銅板葺で、弊殿・拝殿・向拝場所は瓦葺とした。参道がかなり長く、そこに並ぶ多くの燈籠も、まだ新しい。社叢も茂り、境内には屋根付きの土俵や、安政4年(1857年)建立の狛犬がある。境内には多くの境内社がある。とあります。