歴史深い一宮神社へ参拝。
一宮神社 社務所の特徴
一宮神社は阿波国一宮の一つで由緒深い神社です。
大日寺の真向かいに位置し、セット参拝が可能です。
社殿横には特徴的なお面が飾られています。
バイク遍路、大日寺へのお参り。大日寺の山門の道を挟んでの場所。雰囲気の良いお宮でした。
一宮城趾を登る前に挨拶をしに立ち寄りました。敷地は大きくありませんが、立派な杉の木や何やら気になる石橋や石灯籠があって静かで厳かな雰囲気がありました。
四ヶ所ある阿波の国一宮のひとつ。八十八ヶ所巡礼の大日寺のお向かいです。大日寺とは江戸時代までは一つのものでした。祀られるのはアマノイワトワケヤクラヒメで、天照大神の別称です。
太鼓橋あり。
一宮神社(いちのみやじんじゃ)は、徳島県徳島市一宮町にある神社。式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ。旧社格は県社。とくしま市民遺産選定。大宜都比売命・天石門別八倉比売命を祭神とする。鎮座地は徳島市の西部で、周辺は「一宮町」という地名になっており、東方にある山の頂上にはかつて小笠原氏の「一宮城」という城があった。元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一宮となったと伝えられる。その後、一宮城が隣にあったため、戦国時代の天正の陣で主戦場となり、当社を含め辺り一帯焼け野原になったが、江戸時代初期に阿波三代目藩主蜂須賀光隆によりいち早く復興し、1653年に遍路に来た澄禅は著書に「拝殿は左右三間、殿閣は結構なり」と書かれるほどになっていた。
かつての阿波国一宮。天石門別八倉比売神社の論社。上一宮大粟神社の分霊を国府近くに勧請し、下一宮と称したことが始まりとされています。明治より前の時代には四国八十八か所の札所でしたが、神仏分離により、道路向かいにある別当であった大日寺が札所になってます。隣の山に一宮城があったことで戦国期に戦火に巻き込まれ焼失しましたが、江戸時代に阿波国藩主の蜂須賀光隆によって復興され今日に至ります。
13番大日寺さんの真向かいです。拝殿前に狛犬が如くの対の神馬。人影なく、裏に回って本殿を拝見したりと清浄な空気の中でゆっくりと廻ることが出来ました。御朱印は本殿左手の神職のご自宅で頂けます。不在の際は……と、書き置き(300円を箱に入れるみたい)も用意してくださっています。丁度ご在宅でしたので御朱印を……と申しますと、昔のことなどあれこれとにこやかにお話しくださり、心和む時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。
阿波一宮は論社で4つありその1つ大宜都比売命・天石門別八倉比売命を祭神とする元々は上一宮大粟神社(名西郡神山町)が阿波国一宮であったが、参拝に不便であるため平安時代後期に国府の近くに分祠が作られ、こちらが一宮となったと伝えられる御朱印は隣に社務所があり、神主さんが居られれば手書きを頂けます。
大日寺の道を挟んだ真向いにあります✨駐車場がわからず大日寺の駐車場🅿️に停めて参内しました😃訪問した時はお賽銭箱に張り紙があり御朱印は隣の家の玄関にあって300円を入れて書き置きを貰って行く感じでした🙋
名前 |
一宮神社 社務所 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
088-644-0540 |
住所 |
|
HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjashi-kensaku/jsearch3jinjashi.php?jinjya=7060 |
評価 |
4.0 |
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左右両脇に神馬が立っておられるのは珍しいです。