高野山の恩人、応其上人の聖地。
豊臣秀吉の信任が厚い政僧であり、歌人としても高名な木食応其が入定されたところ。覆屋で囲われていて、どんな岩屋だかわかりません。ネットで調べると、上人は自らの死を予知して石棺を作り、その中に入って念仏を唱え続けて3日後に亡くなった、とか。たぶん中にその石棺と上人の遺骸がある、ということでしょうか。となりには供養塔として五輪塔もあります。木食応其は関ヶ原合戦のあと、豊臣政権との親密さから徳川家に疑念を持たれ、ここ飯道山に隠棲した、とのこと。
名前 |
木食応其上人入定窟 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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豊臣秀吉の高野攻めより守った、高野山の大恩人、応其上人の御廟所です。晩年、飯道山に隠棲し、土中入定されたと伝わるところです。覆い堂の中は窺う事が出来ませんが、周囲は静寂そのものです。