江戸時代の命懸けの水争いを知る。
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農耕社会において、時に命懸けの争いにまで至る取水ですが、江戸時代においても同様でした。
名前 |
酒匂堰取水口(復元) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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以前酒匂堰の経緯を追っている時にこちらの存在を知りました。それ以来機会があれば是非とも拝見したいと思ってましたが、やっとその機会を得ることができて嬉しい限りです。現在の酒匂堰は酒匂川左岸用水の基幹系統となっていますが、その原水は酒匂川右岸の南足柄市班目地区を流れる文命用水に端を発します。文命用水が酒匂川に放流される直前に分水され南下し、開成町吉田島の右岸側から左岸側の松田町松田庶子へと川の地下を逆サイフォンで渡り、その後川音川も逆サイフォンで渡って左岸側を南下しています。昭和12年にこの事業が完成し、それまでの大水による度重なる河床変動に左右されることなく、安定した水量の確保が実現されたといいます。この役場敷地に復元移転された取水口は、慶安4年(1651)に築かれ、昭和12年(1937)まで使用されていた左岸側の取水口です。昭和60年の足柄大橋建設時に土手敷の下から発見されたと言います。現在の酒匂堰の流路を見ても、その当たりが一番川に近いところを沿って流れているので解りやすいですね。酒匂川左岸は右岸に比べ、洪水の危険が少ないものの、農業用水の確保に苦労してきた経緯があるようです。後世の人々にも語り継がれるべき歴史です。