高島の歴史、林道と共に!
西山城跡の特徴
登城口から本曲輪までの40分間は歴史を感じる散策が楽しめます。
縄張図や模式図付きの説明板が遺構に訪れる楽しみを与えてくれます。
若狭街道や鯖街道としての歴史が息づく安曇川沿いの城跡です。
登城口(9W5C+H9M 高島市)には案内板はありませんが、先に進むと要所要所に案内板があります。ただし、間違えやすい手前の峰と出曲輪の分岐点に案内がなく、その先にはチェーンソーのようなもので切断された案内板があったため、なにかの理由て破壊されてしまったのかもしれません。
登城口から歩いて本曲輪まで40分ほど。もう少し上まで車で移動することもできるが、パワーのある車でないと登りきれないかも。室町幕府奉公衆として活躍した朽木氏の詰城。規模はそれほど大きくないが、土塁、曲輪、虎口などの地形が残っている。近づくのは難しそうだが、北曲輪の北にある二重の掘切は見ごたえあり。
ちょっと登ると縄張図や模式図付きの説明板が建ってた🪧👍️延々と林道を歩けば出曲輪、愛宕神社⛩️、その横に城跡がある堀切♪ぐるり土塁♬枡形虎口♪さらに奥に連続堀切♬など遺構が残る🙌主郭にも説明板🪧があるはるか下に橋🌉が見えた高島側からの道を監視してたんだろうか?などと妄想が楽しめるトコ🤭標高356m、比高約200m
安曇川の朽木谷にあり、若狭と京都を結ぶ道として使用され、若狭街道や鯖街道とも呼ばれています。この朽木の地を鎌倉から明治維新まで収めていたのが朽木氏である。佐々木氏の嫡流で高島七頭の一族で杣地区として木材を抑え力を蓄えていました。地元のひとは、昔は大きな杉は100万円で売れたが、いまは、10万円に下がったといわれていました。当時の100万円は高級外車が変えた価値があったそうです。西山城は、朽木氏の本城であった朽木城から1.3キロメートル北東にある、標高356メートルの西山の山上にあります。朽木城の詰の城として築かれたと考えられています。山頂からは、安曇川流域や若狭街道を見下ろす位置にあり、朽木城から外敵を守るためにつくられたと、いわれています。土塁、切岸、枡形虎口があります。特徴的なのが、烽火台があり、全国でも明らかに烽火台と認められる遺構は珍しいといわれています。また飲料水などを溜めた溜桝ものこっています。アクセスは、JR湖西線安曇川駅から江若バス30分下市場下車、西山登り口まで徒歩19分、そこから、山頂まで40分ぐらいです。結構急な坂もあります。
| 名前 |
西山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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西山城は朽木荘を鎌倉時代から明治維新まで治めていた朽木氏の詰城である。標高362mの西山山頂付近に展開し、登山口からの比高は約200mである。登山口から主郭まで1.5kmあるため往復で約1時間必要である。登山道は整備されており歩きやすい。距離は長いが登山道の序盤を除けばなだらかな登りが続いておりそれほど苦労せず主郭まで到達することができる。城址も整備されており見学しやすい。規模は大きくなく、主郭を中心に南郭、北郭がある構成だが、遺構の案内板なども立てられていてわかりやすい。見どころは綺麗に残っている枡形虎口か。その他には堀切、土塁、溜枡、烽火台などの遺構が確認できる。地味だが山城らしい山城で山城好きにはたまらない。朽木氏は江戸時代は石高が約9千石だったため大名ではなく交代寄合であったが、鎌倉時代から明治維新までこの地を継続して治めていた。これは他には薩摩の島津氏くらいしかいない珍しい例である。