承久の乱の舞台、歴史を感じるひと時。
承久の乱 大井戸古戦場の特徴
承久の乱の合戦供養塔を訪れた後に行ける聖地です。
木曽川を渡った東山道軍の激闘があった歴史的な場所です。
承久の乱開戦地として、8ヶ所の防衛ラインが布陣された地です。
承久の乱の時に、鎌倉を発した東山道軍が、ここで木曽川をわたりました。対岸には、朝廷方がいたようですが、大軍で蹴散らしたようです。承久の乱の最大の決戦は、ここからさらに下流の、前渡で行われたようです。
承久の乱合戦供養塔を訪れた後、さらに上流に進むとこの古戦場がありました。供養塔は木曽川右岸(幕府側)でしたがこちらは左岸で幕府側が陣取った場所のようです。堤防から木曽川を眺めると所々に白波が立ち、その辺りは川の浅瀬であることが分かります。承久の乱の合戦はここから始まったようですが近くの大きな公園は日曜日でもあり、家族連れで大変な賑わいでした。子供たちの遊ぶ喚声を聞いていると戦跡と気づかないほどですが伝家の宝刀ならぬ三本の幟(決戦はいつも岐阜!)で史実を蘇らせてくれます。
後鳥羽上皇の朝廷軍と執権北条義時の幕府軍との戦いの承久の乱開戦地で、朝廷軍は木曽川を第一防衛ラインとし幕府軍を迎え撃つ為、現在の 美濃加茂 各務原 岐阜 墨俣まで約8ヶ所程に布陣しました。ここ大井戸付近が朝廷軍の東端の陣地で大内惟信 五条氏 糟屋氏など2000騎が布陣し、対する幕府軍は甲斐源氏武田信光 小笠原長清が率いる5万の軍勢で可児側より渡河攻撃し激戦になったようですが、数に勝る幕府軍の圧勝だったようです。約800年前の古戦場で木曽川も洪水などで流路が変わり、戦場の正確な位置はわからないようですが、対岸の美濃加茂市側の中濃大橋横の虚空蔵堂が戦場の北端らしく解説板もあります。又新しく出来たここ日特スパークテックwksパークにも大きい解説板があります。
承久の乱の古戦場です。歴史については事前に調べておいた方が良いと思います。慰霊碑からクルマで25分の距離ですから、慰霊碑と両方訪れると良いと思います。今は奇麗な公園ですね。
名前 |
承久の乱 大井戸古戦場 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒509-0206 岐阜県可児市土田2691番地1 日特スパークテックWKSパーク(かに木曽川左岸公園 |
評価 |
4.2 |
周辺のオススメ

無茶苦茶綺麗な場所になりましたね。公園が、整備されて行きやすくなりましたが…美濃加茂方面からGoogleナビで来るととんでもないルートを案内されます。カヤバ辺りからナビつけたら方が良いかな。