周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
城主については様々な説がある城でもある。「一色軍記」には沼田幸兵衛が城主とある。1579年(天正7年)、一色義道が細川藤孝勢に敗れて八田城を引き、旗下の沼田幸兵衛が守る中山城に籠城した、しかし沼田は心変わりをして細川方に内通して主君を裏切り、追い詰められた義道は自害したとされている。沼田幸兵衛はのち細川の家臣となったと伝えるがこれは誤りである。一色左京太夫は誤りで左京大夫義員の誤りと思う。義員の息子は義定(義忠?)と思う。遺構は藪が目立つので引き返しました。