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名前 |
大垣藩校敬教堂跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
大垣市指定史跡2023年9月中旬、大垣宿探訪の際に寄りました。大垣市保健センターの敷地に石碑と説明版があります。説明版によると————————————————————-大垣藩第八代藩主戸田氏庸は、藩士の子弟を教育する為、天保11年(1840年)大垣城籠の口門外(現在地)に学問所を設立し、後に致道館、敬教堂、学館と改称されました。第十代氏彬のとき、孔子像を祀った大成殿を設け、その雷除けとして植えられたのが「剣の木」と俗称されるこのトネリコであると伝えられています。明治維新後、藩校は文学校と武学校に分かれ、このトネリコも道路上に残されたため、現在の地に移されました。大垣市教育委員会————————————————————-石碑の横に孔子像らしきものがありますが調べたら敬教堂では2月と8月に「釋奠」と呼ばれる孔子を祭る儀式を行っているなど繋がりが深かったからのようです。