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名前 |
米清旧邸 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
【米清旧宅(新町)】米清旧宅は、江戸未期から明治・大正にかけて活躍した大山商人の屋敷跡。明治二十二年に建てられたと伝えられており、濃尾地震(明治二十四年)に一部崩壊、修復されたもの。本宅脇の蔵は小川藤七の代に大正七年に建てられたもので、道を挟んだ前にも蔵がある。米清の屋号は江戸末期の豪商からで当時(天保七年)稲置(大山の旧名)の米を一手に買い占め、千石船で桑名に下り遠く江戸に出て農機具、肥料を購入していたと言う。明治・大正には製糸業を行い、現在土間に残るトロッコの車跡は、裏の納屋でまゆを乾燥させた名残がある。また、代々小川清六を襲名していたし、船の無事を祈るため清六稲荷を専念寺の崖下に祭っていた。なお、小川の姓のルーツは、本竜寺を源とする大沢和泉守の一党で、鵜沼、各務原を領有する土豪、言長の岐阜城攻め、その前哨戦で秀吉の軍門に下った。これを機に大沢一党は野に散り、二十二代の子で正明の時に小川を名乗ったと伝えられる。後に小川合流して、大沢になろうということであった。