岡見氏の城跡、歴史残る散策地。
岩崎城跡の特徴
岩崎城跡は岡見氏の領地だった歴史的遺跡です。
牛久城の支城として、多賀谷氏に攻め込まれた場所です。
後北条氏傘下の岡見氏の城跡が魅力的です。
車を停めるところがなく困りましたが、安徳寺下の道路わきに停車して向かいました。私は北側から入りましたが、田んぼ側から上ることをお勧めします。安徳寺の進入路といい、この城の進入路といい、この丘陵地帯がいかに険峻かを感じさせます。防御力の高い城だったことでしょう。坂を上がると、明らかに土塁であろう構造物が姿を見せます。下草は刈られているものの、雑木に囲まれて薄暗く、神社、2件の廃屋があり、少し不気味さを感じさせます。東の谷田川方面に向かうと、断崖の鋭さに足がすくみます。これでは攻めてくるのも難しかろうと思いました。一見の価値はある城址ですが、暗くなってから訪れるのはおススメしません(;'∀')
かつては岡見氏の領地であり牛久城の支城と言われており、後北条氏傘下になった岡見氏を攻める為に下妻から多賀谷氏が攻め込み落城。多賀谷氏の牛久城攻めの拠点となった様です。谷田川の沿線上、牛久沼の岬部分に泊崎城があり、そこまで多賀谷氏の領地となりました。こちらの城跡の詳細は不明ですが、城域は広く舌状台地先端の郭には神社が鎮座しています。神社周りや周辺の台地部分に横堀、土塁が張り巡らされておりかなりマニアックな人向けな城跡です。
2021/5/2台地からではなく、水田側から台地先端に上る切通しの道から入ると良い。切通しを抜けて右手の林に入ると土塁があり、切通しの道は元々あったものかも。そのまま進むと怪しげな鳥居があり、祠が鎮座している。側にある明治7年の石碑に漢文で何か書いてあるがよく分からない。この鳥居から祠の間の崖側を見下ろすとかなり浅くなった空堀がある。一旦切通しにもどり、道の途中から林に入ると腰郭がある。そのまま進むとここも空堀になっており、切岸が凄い。奥まで進むと竪堀に連結して終わるが、なかなか見応えがある。台地上は民家があり、よくわかる。
| 名前 |
岩崎城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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遺跡地図や『茨城県の中世城館』には記載の無い城跡ですが遺構がよく残っています。丘陵の真ん中を南北に縦断する道路があり、そのまま丘の下まで伸びています。東側の主郭と思われる郭の西側土塁がこの道に沿っており、往時からこの道はあったものと思われ、登城路の一つと考えられます。この道の下り切った辺りにかろうじて車を停めました。丘陵の先端部に横堀が巡ります。西側半分のものは薮で見逃しましたが、東側半分は丘の上からしっかりくっきり確認できます。明らかな城郭遺構です。他に小さな神社が乗る土壇も櫓台のように見えます。他の遺構は宅地裏だったりで確認はしていません。隣の守徳寺の丘陵も、遺構はありませんが、城域と思われます。来歴等はわかりませんが、岩崎地区には只越尾張守善久が拠って多賀谷氏と戦った岩崎城(場所不明)があり、その候補地として有力だと思われます。