高台から見守る歴史の宝。
藤田康邦と北条氏邦の夫妻墓の特徴
寄居駅北口から徒歩20分の好立地にあります。
宝篋印塔が4基あり、丘からの眺望が素晴らしいです。
鉢形城の北条氏邦夫妻の墓としての歴史的価値があります。
藤田康邦・北条氏邦の菩提所。境内には県指定史跡となっている康邦・氏邦夫妻の墓があります。正龍寺の境内の高台にお墓があり、建物の中で大事に保存されています。建物の前に説明版があり、建物の外から夫妻のお墓が見学出来ます。
寄居駅北口、徒歩20分、正龍寺の高台にあります。朱色の社が目印です。
宝篋印塔が4基丘から見下ろすような立地。
鉢形城の北条氏邦夫妻の墓。ちょうど鉢形城を望める小高い丘の上にある。
(埼玉県指定史跡)正龍寺院内墓地には、北条氏邦夫妻と、氏邦の養父である藤田康邦夫妻の墓が四基並ぶように安置されています。氏邦が北関東支配の拠点としていた鉢形城は、豊臣秀吉による小田原征伐の標的となり、前田利家・上杉景勝らの北国軍(3万以上)との一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げたのち、正龍寺において開城の合意が交わされた、とあります。北条氏・藤田氏のお墓は、山の斜面に並ぶ正龍寺の墓地の中でも上の方にあり、寺の境内から見ても分かるような廟になっていますが、どう上って行ったらいいかの案内はない様です。尚、大福御前自刀の地という記念碑が、正龍寺を出て東南の方向に120m位行った所の畑の中にありました。
| 名前 |
藤田康邦と北条氏邦の夫妻墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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曹洞宗 高根山 藤源院 正龍禅寺を訪ねて来ました。最初の写真の石柱には「不許葷酒入山門」の文字が彫られていました。なるほど! 詳細は後で知る事として、五葷や飲酒している者は山門に入る事を禁ずる(不許)と謂うことですね。五葷と言えば大蒜(にんにく).辣韮(らっきょう).韮(ニラ).あさつき.野蒜(ノビル)長葱(長ねぎ).玉葱(玉ねぎ).など五種類に限らず、地域や宗教によって定義が違うことも有ります。ほかには酒を口にした者は、僧侶の修行の妨げになるので境内に入る事を禁ずると言う事なんですよ😁鉢形城主の北条氏邦公が熊谷の荒川氾濫を防ぐ為に熊谷に「北条堤」を築いた事は承知していました。その事とは関係なしに正龍寺を訪ねた處、北条氏邦公の御墓があることに気づきました!⑦番目の石碑は花園城主藤田康邦公と鉢形城主北条氏邦公の御墓が埼玉県の指定を受けている事を表しています。墓所は境内でも山の上の方にある様で急な坂道は私にはきつい気がしましたが、今を逃すとなかなか機会がないと思いなおし訪ねて来ました。⑨番目の写真の建物は、藤田康邦と北条氏邦2人とそれぞれ夫人の御墓だそうです。また石塔には「鉢形城主北条氏邦公三百五十年祭記念」と彫られています。先に述べたように「北条堤」に付いては承知してましたが、領地熊谷の事を気に掛けていた北条氏邦公が1574年に築かれたとされる北条堤ですが、殿様の墓所を知るに至っては、偶然にせよ有難いお導きでした。⑪.⑫番目の石塔がそれです。⑬.⑭番目の石塔は藤田康邦公と仝夫人の石塔となります。⑧.⑩番目は4名の説明です。北条堤を築いた鉢形城主北条氏邦公の御墓が此処にあることを知りました。そして⑧当時は禅宗曹洞派、後に曹洞宗となったと説明にある。宗派の流れを調べる切っ掛けとなった良い説明であった。