縄文の神秘、根方岩陰遺跡へ!
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根方岩陰遺跡(高山市丹生川町根方)は、昭和38年の公民館建設に伴って発見された縄文時代の遺跡です。
名前 |
根方岩陰遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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根方岩陰遺跡(ごんぼういわかげいせき)は、岐阜県高山市丹生川町に位置する、飛騨地域でも特に重要な縄文時代の遺跡だ。工事中に偶然発見されたこの岩陰は、今から約1万年〜6000年前(縄文時代早期~前期)に、人々が生活していた場所とされている。遺跡は南向きの石灰岩壁の下に浅い洞窟のように広がっており、幅約11メートル、奥行き2.2メートルほどの空間だ。1963年、公民館の造成工事中に土器や石器が大量に出土したことで、本格的な発掘調査が行われることになった。発掘調査によって明らかになったのは、この岩陰に縄文時代の人々が非常に長期間にわたり居住していたことだ。約290点の土器片や160点以上の石器、骨角器が出土している。特に土器は縄文早期後半の「高山寺式」「茅山式」から前期前半の「木島式」「神ノ木式」まで様々な型式が確認され、縄文文化の移り変わりを示す標本として重要視されている。石器は、狩猟に使った石鏃(せきぞく)や動物を解体するスクレイパー(削器)が中心で、農耕具は発見されなかった。これは、縄文早期の人々が狩猟採集を中心に生活していたことを示す。また、岩陰からはニホンジカやイノシシ、ツキノワグマなど多種多様な動物の骨が出土しており、縄文人たちが飛騨地方の豊かな自然を余すことなく利用していたことがうかがえる。さらに興味深いのは、遺跡の近隣から縄文時代前期の人骨が見つかったことだ。この「根方第二岩陰遺跡」と呼ばれる地点からは、海から運ばれた貝製の腕輪も多数出土している。これらの腕輪は縄文後期(約3000年前)のもので、内陸の飛騨地域において海産の貝が見つかるのは、当時すでに広い交流網が存在していたことを示している。また、石器の原料として飛騨以外の黒曜石や火山岩などが使われており、縄文人たちがかなり遠方の地域とも交流していたことが確認されている。根方岩陰遺跡は、単なる狩猟のための一時的なキャンプ地ではなく、長期間にわたって家族単位で生活が営まれていた居住地であった可能性が高い。縄文人の暮らしを理解する上で、非常に価値ある遺跡であることは間違いない。周辺にも岩陰を利用した遺跡がいくつかあり、この地域が縄文時代を通じて生活の場として重要だったことがわかる。また、こうした岩陰や洞穴遺跡は当時の人々にとって快適で安全な空間であったと考えられ、全国的にも貴重な遺跡群のひとつとされている。根方岩陰遺跡は、縄文時代の人々がどのように自然と向き合い、生活を築いていたのかを鮮やかに伝える場所であり、飛騨地方のみならず、日本の縄文史を考える上でも重要な意味を持つ遺跡だ。