志魂碑で歴史を感じて。
この「志魂碑」は日露戦争でお亡くなりになった方達への慰霊碑です。石碑の裏手には戦没者のお名前が刻まれています。ここ佐久の切原からも戦争へ赴き、日本の為に戦い、亡くなられた方達が多数いらしたのですね。謹んで御冥福をお祈り致します。刻まれている方達の所属を拝見しますと、陸軍の方達のようです。日露戦争での陸軍の方達の戦没者については、あの文豪:森鴎外さん(本名:森林太郎さん)が大きく関わっています ご存知でしたか?日露戦争での陸軍の戦死者 約46,000人です。傷病者 約350,000人 そのうち“”脚気患者“”250,000人と云う驚くべき!数字です。そのうち戦病死者37,000人中 “”脚気“”による死者が約28,000人(76%)に登っています。原因は森林太郎陸軍“”軍医総監“”さん(森鴎外さん)が“”米飯“”さえ食べていたら健康に問題は無いと、当時としては未だ未発見の「ビタミン」の存在を知らなかった事で、“”米飯“”ばかり食べていた陸軍はこのような惨状となったのです。海軍はどうかと云うと、練習航海中に“”米飯“”のみを食していた乗員が大勢 脚気になった事で、当時の海軍医務局長「高木兼寛」さんがイギリス留学中にヨーロッパには脚気が無いことに気がついていて、食料(パン食)に原因が有るのではないかと察したそうです。「高木兼寛」軍医さんは遠洋航海実験で、蛋白質が含まれる“”麦飯“”に切り替え、“”脚気“”の発生が事実上無くなるのを示し、その後正式採用となった“”麦飯“”にしたため、日露戦争の時、海軍では脚気を根絶していたのです。海軍からの“”麦飯“”採用の意見具申を無視し、知的誤り・無知・傲慢さで、頑なに自説に拘(こだわ)り28,000人の戦病死者を出した 陸軍軍医の総責任者:森林太郎(文豪:森鴎外さん)陸軍軍医総監の責任は決して軽くないと思うのですが……
名前 |
忠魂碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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殉国者慰霊碑と並び、若くして散っていった多くの命と魂、今田安らかにお眠りください。