保福寺境内で歴史を感じる。
小笠原長時妻子墓の特徴
保福寺境内に位置し、歴代住職の墓がある場所です。
信濃守護小笠原長時の妻子の墓であり、由緒あるスポットです。
側室と長時の子(姫)の墓も含まれる特別な場所になっています。
信濃守護小笠原長時 妻子の墓※御住職いわく側室と長時の子(姫)の墓との事です。※小笠原長時は、戦国時代の武将。信濃国守護で戦国大名。平安時代の甲斐源氏 初代 小笠原長清の末裔。信濃小笠原氏の当主。信濃林城主。小笠原長棟の長男。小笠原流弓馬術礼法第17世宗家。信濃四大将のひとり。
名前 |
小笠原長時妻子墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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長野県松本市中山(なかやま)の保福寺(ほうふくじ)境内の、歴代住職の墓の中にある。天文19年(1550年)小笠原長時は、信濃林城落城の折、妻室仁科氏と息女を保福寺に託し、信濃を離れ、そのまま異郷の地・会津若松で没したとされる。その後息女は、この寺で尼になったという由縁だろうか。