太田資正公の眠る場所、歴史感じる浄瑠璃光寺。
太田資正の墓所の特徴
令和2年11月に改修された立派な墓所です。
太田資正の歴史を感じる浄瑠璃光寺の近くにあります。
岩槻城を追われた武将の痕跡が残されています。
太田資正公のお墓は浄瑠璃光寺の山門向かって左側一般のお墓がある奥にあります。少し分かりづらいかもしれません。とても綺麗になっておりました。
岩槻城奪還を夢見つつも佐竹義重が小田氏治から奪った片野城主として全力で佐竹氏に力を注ぎ、上杉謙信ですら絶交してしまう頑固戦国武将、太田資正が眠る地。もうちょっと生き延びていれば小田原征伐後に岩槻に戻れたんでしょうかね…様々な人間のロマンが生まれる場所でもあります。信長の野望でお世話になりました。お寺周辺にも多くの城郭遺構が藪の中に眠っています。
説明文は、しばしば更新しているようですが、読みづらい…
信長の野望でも優秀な関東の武将。流浪の末佐竹の客将となり、片野城に入る。ここが終焉の地となった。墓は一切案内がないので見つけづらい。寺の門ではなく左側の入り口から入って一番奥。一般の方々のお墓もあるので敬意を忘れずに。
令和2年11月に改修されて立派なお墓があります。
岩槻城を逐われた太田資正が、佐竹氏に片野城を預けられ、城主となっていたことがあり、後にこの地で亡くなって浄瑠璃光寺に葬られたといいます☝️今は、無住のお寺の片隅に五輪塔が建っています。太田資正公は、太田道灌の曾孫にあたると言われます。是非、訪れてみて下さい。
名前 |
太田資正の墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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名将太田資正公の墓所。浄瑠璃光寺の左手に広がる墓地の一番左奥に墓はある。この裏の山一帯が居城である片野城の敷地。なお駐車するなら本堂横か道路の路肩となる。