水田と麦畑の風景を楽しむ。
長浜氏居館跡の特徴
史跡としての深い歴史は感じられないが、自然との調和が魅力的。
水田や麦畑が広がる風景が、のどかな印象を与えている。
館跡らしい雰囲気は感じられないが、周囲は美しい水田に囲まれている。
いちめんの水田(麦畑?)の中、道路脇に漆黒の石碑が建っていました。長浜氏居館跡、かつて新田義貞に仕え、鎌倉攻略をはじめ全国各地を転戦した長浜氏の館がここにあったそうです。この付近には古墳群があり古くから多くの人々が住んでいたようで、陽雲寺や大光寺、福昌寺などにも有力武将の史跡が残されています。ただ、ここには石碑以外にはそれらしきものは見当たらず、夢破れて山河ありといった感じです。石碑の裏面には由来が書かれていました。平成10年建立=25年前にしては石碑はまだ真新しく、写真を撮ろうとすると自分が映り込んでしまいどうしたものかと困りました。近くにある丹生神社へもお参りしましたが、こちらは長浜氏が「氏神」「祖神」として祀った神社のようです。長浜氏居館之由来この地、大字長浜字城は、鎌倉時代より武威を振るった丹党の名族、長浜氏が居住した館跡と伝えられ、浮浜城とも呼ばれています。 小長浜氏は新里恒房の子三郎信光を祖とし、長浜の地名をもって家号としました。太平記によれば一族の長浜六郎左衛門光経(頭寬)は、南朝の忠臣新田義貞に仕え、最高軍事指揮官である侍所の重責を担い鎌倉攻略をはじめ全国各地を転戦し、建武四年(一三三七) 新田義顕と共に越前金ヶ崎城で討ち死にました。ここに、長浜氏の館跡と遠祖の功績を後世に伝えんがためこの碑を建立します。平成十年十二月上里町文化財保護審議委員 赤見留次撰文上里町教育委員会建之。
館跡らしい雰囲気は感じられません。ここから北西側の広い区画が館跡らしいです。集落の北側には土塁や堀の跡も見られるようです。
明確な遺構は見当たらない。石碑裏に案内文あり。
名前 |
長浜氏居館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.6 |
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道路沿いに長浜氏居館跡と彫られた漆黒の大きな石碑があります。跡地は田んぼと住宅になっており今は石碑と謎のポストがあるのみです。