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名前 |
堀口氏館跡・正覚寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
新四国88ヵ所霊場 第四番堀口山 不動院 正覚寺(しょうかくじ)[高野山真言宗]廃寺本尊:不動明王早川の土手沿いにあったが、たび重なる水害および土手拡張のため、昭和43年、6番浄蔵寺に合併された。浄蔵寺の境内に墓地を移し、不動堂を建立している。現在、水管橋の東の土手沿いには、正覚寺跡と堀口館跡の記念碑が立つ。堀口地区は、元久2年(1205)鎌倉幕府より新田義兼が地頭職として賜った土地の一つであり、上堀口地区を除いては、代々新田氏の領地となった。堀口貞氏が住み着いて、堀口氏の祖となった。同地区からは、文永12年(1275)、建治2年(1276)などの記銘の ある板碑が出土している。この寺は堀口貞氏の孫にあたる堀口貞満の創建であり、境内には堀口館跡があった。堀口貞満は新田義貞の側近の武将であり、 後醍醐天皇に新田方の扱いについての誤解を解かせ、新田軍の面目を回復させた人物であった。浄蔵寺の境内に建つ不動堂は、瓦葺き宝形造りのこぢんまりとした建物。正面に不動堂の額がかかり、内陣には不動明王が厨子の中に安置されている。かつて大伽藍を極めた堀口貞満の創建の寺が、歴史の変遷とともに縮小され、ついには小柄な堂となり寂しく存続している。時の流れは非情で、常に空しい。場所が解りづらく、行ったり来たりしました。『堀口館跡』の小さな看板が出ています。正しく土手沿い。荒れ果てていました。