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名前 |
横町口蹴出門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
江戸時代当時のある意味日本の最西端の守りを固めていたお城。石垣等の縄張りも残っており、ゆっくり味わうことができる。料金所はない。案内板には以下の様に記述してある。『五島藩主五島氏は江戸初期、それまでの居城であった江川城を焼失し て以来、久しく石田陣屋(石田城の前身)で過ごしていた。 幕末になり、五島近海に外国船(黒船)が出没し始めると、五島藩は幕府に築城願いを出したが、約半世紀の間築城許可が下りなかっ た。しかし幕府はついに嘉永2年(1849)、「海岸防衛を厳重にせよ」と 築城許可を下す。 14年の歳月と工費2万両を使って、文久3年 (1863) に福江城は完 。石田の浜にちなみ石田城と通称される。 城郭は、東西160間 (約291m)、周囲 、740間 (1346m約)、本丸、二ノ丸 三ノ丸等からなり、築城当時は三方を海で囲まれた海城であった。 石垣は、みで自然石をている。 海防目的で築 城された城らしく、各郭の要所には石火矢台場が設けられている。 表門と裏門には櫓門が建てられていたが、今はその礎石だけが残っている。かつては、城の石垣は外海に面し、波が打ち寄せ、潮風に吹かれる松 が風情をそえていた』今は周りが埋め立てられているので感慨に浸る他はない。