月山富田城の絶景と歴史。
月山富田城 山中御殿跡の特徴
七曲の壁からの絶景は圧巻で、攻め手は絶望する美しい山城です。
山中御殿跡は難攻不落の地、尼子十旗の歴史を感じる場所です。
春は山桜が咲き誇り、ミニ登山と絶景を楽しむのに最適です。
見晴らしがいいからと勧められ、中ほどまでは車で上がれるというお話。月山富田城跡で検索すると本来の位置より遠くから入り急な山腹を本当に登山するような案内になる。ちょっと戻って道の駅広瀬・富田城となりの安来市立歴史資料館で教えてもらった。資料館すぐ近くの分岐を登って、小さな駐車場に車を止め、徒歩で登ると、山中御殿平に到着。ここから本丸跡、山頂の勝日高守神社まで尾根伝いに登れる。立派な石垣が残っていて、登山道が整備されて登り易いが、最初の七曲りの階段はきつい。上からの眺めはよく、爽快。小さな駐車場への道はすれ違いが出来ないので有名になると、道の駅に止め、下から徒歩が正解だろう。
月山富田城の中腹にある城主が居住する御殿跡。広大なスペースでその規模が窺われる。
月山富田城の山中御殿跡になります。駐車場から少し登った中腹あたりにあるかなり広い平らな広場になっていました。案内図やパンフレットが置いてありました。
月山富田城の山中御殿(山中御殿平)は、城の中腹にある広大な平地の遺構で、当時城主の居館があった場所とされています。この御殿は上下二段の構造で、上段には城主の館、下段には付属の施設が設けられていたと伝えられています。発掘調査では建物の基礎と思われる石列が確認され、何度か改修された痕跡も見つかっています。現在は石垣の形状や虎口(出入り口)の構造から、戦国時代から近世にかけて改築され続けたことが推測されています。広さ約3000平方メートルに及ぶこの御殿跡地は、城内の主要な防御ポイントでもあり、三方からの登城口が合流する重要な位置にあります。月山富田城全体の歴史を語る上で欠かせない遺構です。
日本の五大山城の一つに数えられる月山富田城。その城跡のちょうど中腹あたりの平坦になった場所が山中御殿跡と呼ばれています。山頂部にある本丸へと上がる七曲の坂の手前で、麓からは半分くらいのぼったところに位置しています。麓から登城する3つしかない道(御子守口・菅谷口・塩谷口)がこの山中御殿で合流しており、菅谷口・塩谷口には虎口門が、御子守口には大手門が設けられ、防衛上重要な郭だったことでしょう。ここに山中御殿という建物があり、その御殿は平地と石垣の上下2段に分かれた構造をしていたと考えられており、広大な曲輪に大規模な石垣が築かれています。城主の居館もここにあったと推定され、平時でも領主と重臣が評定を開く重要な場所だったのでしょう。道の駅スタートの月山富田城跡の散策でしたら、ちょうど中間にあたるところなので、ゆっくり一休して七曲の坂を登るのに備えましょう!ちなみに山中御殿跡の手前に小さな駐車場があるので、そちらからスタートして本丸を目指すことも出来ます。
良くも悪くも城跡でしかない。しかも山城で結構登りますのでスニーカーがお薦めで、雨上がりはパスした方が良いと思います。山頂からの眺めも良く周囲も含め桜シーズンには桜を楽しめます。
七曲の壁を正面に臨むと攻め手が絶望できる場所素晴らしい!
石垣で囲まれた平時の居住空間で居館が並んでいたのだと思われるたいへん広い曲輪である。石造りの門の跡や櫓台跡、井戸跡などの遺構が確認できる。ここまでは麓から緩やかな登りであるが、ここから山上の城部分への傾斜のキツさに愕然とする。
2014年、月山富田城へ訪問👣した際、七曲り付近の斜面は山林(杉)でした。そして、山中御殿から本丸への登城時、薄暗く雑草生い茂る登城道に若干、先の見えない不安を感じました。現在は良く整備され、登城しやすくなりましたね。距離は、ほぼ変わらない感じがします。当時、本丸山頂部で🚻(大)に行きたくなり、ダッシュ🏃💨で下山し、麓の🚻に入ったら、🐍(まむし)が足もとに侵入してきてビックリ仰天👀‼️した事があります。懐かしい思い出です🎵
| 名前 |
月山富田城 山中御殿跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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当主の邸宅が有ったらしい場所。広さから言っても、全部が邸宅でなく、色々建ってたんだろうな。籠城戦の際はここからどんな気持ちで過ごしていたんだろうか。