出雲大社境外社の魅力。
大穴持御子玉江神社の特徴
大穴持御子玉江神社は、出雲大社の境外摂社である。
高比売命をお祀りする、歴史ある古社とのこと。
みせん広場から徒歩でのアクセスも便利です。
おおなもちみこのたまえのかみやしろ。小さな神社ですが、一見の価値ありです。
下照比売命と言えば、湯梨浜の出雲山を思い出します。
乙見社切妻造妻入り 一間×一間 階隠なし 向拝柱あり 杮葺修理の際に「脇宮」「延享弐年」「東門神」などの墨書が発見され、寛文造営の出雲大社境内のお社から延享年間に部材を転用したものであるしかし『延享造営傳』に記載されている乙見社の規模は現存乙見社より大きいことから、現社殿は明治20年(1887)頃に規模を縮小して建て直されたと考えられる(『出雲大社境外社建造物調査報告書』(2009))
みせん広場から歩いて行きました。
大国主命の御子神社なので参拝。
大國主命さまの御子下照姫命さま(高姫命)をお祀りするお社です。静かで清らかなお社です。女神さまに相応しく、綺麗で可愛らしいです。
女神様です!
平成27年10月8日 参拝令和2年1月5日 初詣。
出雲大社境外摂社の一。みせん広場駐車場の手前から向かい側に入った先、住宅地の一角。このような小社が、式内社「大穴持御子玉江神社(おおなもちのみこのたまえのかみのやしろ)」なので驚く。高比売命(たかひめのみこと)を祀る。御由緒に曰く。 ~大國主大神の御子神で、又の御名を下照比売命(したてるひめのみこと)と称されます。國土経営に力を尽して大神をお助けになられた女神です。~古事記に曰く。此の大國主神、胸形の奧津宮に坐す神、多紀理毘賣命を娶り生みたまへる子、アヂ鉏高日子根神。次に妹なる高比賣命、亦の名は下光比賣命。此のアジ鉏高日子根神は、今に謂ふ迦毛大御神のこと也。…天若日子、其の國(葦原中國)に降り到るや、卽ち大國主神の女(むすめ)下照比賣を娶り、亦其の國獲むを慮り、八年に至るも復り奏さず。…故、高木神、其の矢を取り見たまふに、其の矢羽に血の著く。是に於て、高木神之に告げ「此の矢は、天若日子に賜ふ所の矢。」卽ち諸神等に示し、詔し「或は天若日子、命を誤ず、惡神射るを爲すの矢之に至るは、天若日子中らず。或は邪心有るは、天若日子に此矢まがれ。」云くや其の矢取り、其の矢穴より下に衝き返さば、天若日子の寢ぬる朝床の高胸坂に中り、以て死す。…故、天若日子の妻・下照比賣の哭く聲、風と響き天に到る。天に在す天若日子の父・天津國玉神、及び其の妻子是に聞きて、降り來り哭き悲しび、乃ち其處に喪屋を作り、河雁をキサリ持と爲し、鷺を掃持と爲し、翠鳥を御食人と爲し、雀を碓女と爲し、雉を哭女と爲し、此如く行き定めして、日八日夜八夜を遊ばれし也。此時、アチシキ高日子根神の到りたまひて、天若日子弔ふ之喪時、天より降り到る天若日子の父、亦其の妻、皆哭き云く「我が子は死なず有けり。」「我が君は死なず坐けり。」云ひ、手足に取り懸りて哭き悲しぶ也。其の過てる所以は、此二柱神之容姿、甚だ能く相似たり、故、是以て過つ也。是に阿遲志貴高日子根神、大きに怒りて曰く「我は愛し友故、弔ひ來しのみ。何ぞ吾を穢き死人に比ぶや。」云ふや、御佩せる所の十掬劒拔き、其喪屋切り伏せ、足蹶以て離ち遣る。此は美濃國藍見河之河上に在す喪山のこと也。其の持し切らる所の大刀が名、大量と謂ふ。亦の名を神ド劒と謂ふ。故、阿治志貴高日子根神の忿りて飛び去れし時。其の伊呂妹(いろも)高比賣命、其の御名を顯さむと思し、故、歌ひ曰く、阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也天なるや 乙棚機の 項がせる 珠のみすまる 御統に あな珠はや 御谷 ふた渡らす アチシキタカヒコネの神ぞや日本書紀にも同様の話を載せる。そちらでは「顯國玉の女子、下照姬。亦の名は高姬、亦の名は稚國玉」と記す。また異伝に曰く。時、味耜高彥根、神光儀華艶、映于二丘二谷之間、故喪會者歌之曰、或云、味耜高彥根神之妹下照媛、欲令衆人知映丘谷者是味耜高彥根神、故歌之曰、阿妹奈屢夜 乙登多奈婆多廼 汚奈餓勢屢 多磨廼彌素磨屢廼 阿奈陀磨波夜 彌多爾 輔柁和柁邏須 阿泥素企多伽避顧禰あめなるや おとたなばたす おながせる たますみすまるす あなだまはや みたに ふたわたらす あねすきたかひこね出雲国風土記に見当たらず。多紀理毘賣命は宗像の奥津宮の神と記されており、その娘となると、国土経営より北部九州とのコネクションだったのではないか。 味耜高彦根命・下照姫命は、大己貴命と共に、福岡県福津市八並の的原神社に祀る。そこは許斐山の麓で、合併前は宗像郡福間町に属した。「彦山縁起」に拠ると、彦山を天忍穂耳に譲った大己貴命が、許斐山に遷座したという。ここに説明されていない「玉江」は昔、菱根池という大きな池があり、その入江を玉江といった。菱根池は、更に昔の神門水海(かむどのみずうみ)の名残で、干拓により消滅した。 当社は入江の南に坐したものを、寛文の頃に遷座したという。となると残念ながら、やはり当社に上代の記憶は残っていないと見るべきか。歌を詠み、兄神と共に出雲と宗像を結んだ存在であり、何より夫婦仲がとても良かったようなので、詳しい話が聞けないのは残念である。
| 名前 |
大穴持御子玉江神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0853-53-3100 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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大穴持御子玉江神社(おおなもちのみこのたまえのかみのやしろ)。島根県出雲市大社町修理免。式内社(小)出雲國出雲郡 同社(杵築大社)大穴持御子玉江神社、出雲大社境外摂社(乙見社)。【祭神】下照比売命資料によると、出雲国風土記では「企豆伎社」の「同社」の一つに当てている。今では一般的に「乙見(おとみ)社」と呼称している。千家俊信は『式社考』に於て「玉江とは、昔菱根池といひて大なる池ありけり、甚廣くて湖の如くなりけり、其江の名を玉江といひしなり、今は其池埋れて既田になれる、俗に新田五ケ村と云是なり、(略)其池の入江の南なる地を入南といひ、其江を田にしたる故江田と云、昔は彼の入南にありしを、寛文の頃今の地に移し奉りき」と述ベている。とあります。