周防大島の熱い歴史を感じて。
世良修蔵屋敷跡の特徴
説明がわかりやすく、歴史を感じるスポットです。
街歩きの途中に立ち寄りやすい立地が魅力です。
周防大島や月性に関連した歴史が学べる場所です。
世良修蔵が一時ここで暮らした様です。建物等はありません。車も停める場所が無いので、少し離れた場所に路駐して見学しました。奥州の人間として、長州の世良と土佐の岩村精一郎は好きじゃありません。
ここの前を通ったんだ。
何度も行きましたが、説明がよかった。かわいそうな人です。
街歩きで寄り、説明板もあってこの碑を見て熱いものを感じた。
少し寂しく感じました。
周防大島の椋野に生まれ、月性の推薦で克己堂に学ぶ。奇兵隊、第二奇兵隊の幹部として活躍。その後奥羽鎮撫総監参謀となり会津に進撃した。34歳で仙台藩士福島藩士に捕られられ斬首された。※評価は一律★3.協力:冨笑家倶楽部 2015.11
| 名前 |
世良修蔵屋敷跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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世良修蔵は、天保6年(1835年)周防大島椋野の庄屋 中司徳熹の三男として生まれました。まず月性の清狂草堂に入り、月性の推薦で克己堂で学び、その後江戸でも学問を修めました。第二奇兵隊で白井小助とともに軍監を務めました。慶応2年(1866年)四境の役 大島口の戦いでは、土地を熟知している修蔵の作戦がことごとく成功し勝利に貢献しました。明治元年(1868年)戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督参謀となり先発隊として会津に進撃しました。その際、仙台藩士、福島藩士に宿舎の金沢屋を襲われ捕えられ、翌日、阿武隈川の上流で斬首されました。享年34歳。学問を修め、和歌を詠み、横笛をたしな文武に秀でた逸材でした。