玉川町から訪れる歴史の旅。
ハナビラ渓谷の慰霊碑の特徴
温戸峠からのアクセスは少し大変で、玉川町からが訪問に最適です。
1945年に墜落した零式三座水上偵察機の歴史を感じられる場所です。
ハナビラ渓谷の慰霊碑は貴重な戦争の遺跡です。
ネットの記事を見て場所を確認。昭和20年5月19日、作戦が中止となった特攻機が引き返し中、墜落。搭乗の3人の学生のうち2人が犠牲になったとのこと。深い山中にあり訪れる人もほとんどいないという状況のようです。間もなくの終戦を迎えれば新しい時代を作ってくれたであろう学生さんたち。御魂安らかに。
1945年5月19日、茨城県北浦航空隊から香川県詫間航空隊を経て、沖縄決戦のため鹿児島県指宿を目指していた800キロ爆弾を積んだ零式三座水上偵察機が、悪天候で香川県の基地に引き返す途中で今治市玉川町の山中に墜落した。乗員3人のうち、学徒出陣の22歳の2人が亡くなったという。慰霊碑は旧海軍出身の有志らによって66年に建立され93年ごろまで遺族が参加した慰霊祭が営まれていたがここを訪れる人が、ほとんどいなくなった今2011年8月「広報今治」に掲載された事で各メディアに取り上げられ、人々の忘れ去られた記憶を取り戻すきっかけとなった。
名前 |
ハナビラ渓谷の慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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温戸峠から下って訪問しましたが、玉川町からの方が楽です。明確に場所とルートを知らないと迷います(迷いました)。沢の左岸に有りますので、最後の200㍍は谷筋に南から北へ沢の左岸を歩き、一部沢自体を歩き、再度、左岸に上がって碑に到達という感じです。碑の存在やルートが風化しないよう願います。