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名前 |
高木屋敷跡(周辺) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
慶長5年、関ヶ原の戦いに敗れて防長両国に削封された毛利輝元に従い由宇に入部した吉川広家および家臣団に由宇・岩倉地区の土豪として抵抗し、敗れて処刑されたという高木市之介の屋敷跡です(『岩国玖珂歴史物語』、瀬戸内物産出版部、pp.44-47)。現在、岩倉公会堂そばの小高い丘に観音堂、古墓が設置されていますが、その周辺が跡地とのことです。説明板などは設置されておりません。アクセスとしては、防長バスのバス停「岩倉」から徒歩1分前後です。ちなみに、このすぐ北西方向にそびえる山中に、市之介以下、処刑された高木一族、家臣団を葬ったとされる「千人塚」があるそうです(急勾配な登山道があります。訪問時は木や竹の倒壊で山中の何処にあるか、位置を確認しきれませんでした)。