三つの川が映す静かな神社。
多賀神社の特徴
大橋川のほとりに位置し、舟を横付けしてお参りできる神社です。
周辺には鎮守の森が残り、夕暮れの太陽が川に映える癒やしのスポットとなっています。
古墳の隣にある静かな場所で、松江の神社の中でも特に良い雰囲気を楽しめます。
いい雰囲気の神社でした。
舟を横付けでお参りできます。
大橋側沿いに鎮座された朝酌町の氏神さまです。大橋川の護岸に建てられた鳥居や、本殿の破風板に取り付けられた神面などの特徴のある神社で、本殿は大社造で立派な佇まいです。境内からは、縁結び大橋方面が見えるのですが絶景ですね。特に夕焼け時分の風景は素晴らしいと思います。また神社の北側には魚見塚古墳があります。この古墳(塚)と神社は、神話で語られていますね。(神話の内容は割愛します)表の参道(大橋川沿い)には駐車場がありません。神社の裏手に砂利土地の専用駐車場がありますので、神社手前から側道に入って下さい。ただし側道は狭く、地域の方の住宅があるので安全運転に徹してください。
一間四方の大社造。銅板葺。縁は正面だけのようである。隅柱に大斗肘木その上に梁と桁を乗せ背面中央には大瓶束、大斗、肘木を置き棟木を支える。懸魚は正背面に三つずつあり、顔を模したものが付く。非常に珍しい。本殿桁が前方に延び縁と階隠と共有する柱につなぐ。柱の風蝕は著しいが大斗より上は部材も異なるようで後補と思われる。拝殿前灯篭には「明治十三年辰三月」(1880年)、道路脇灯篭には「明治十二年己卯九月吉日」(1879年)とあり軸部はこの頃建立か。
大橋側沿いに鎮座された朝酌町の氏神さまです。大橋川の護岸に建てられた鳥居や、本殿の破風板に取り付けられた神面などの特徴のある神社で、本殿は大社造で立派な佇まいです。境内からは、縁結び大橋方面が見えるのですが絶景ですね。特に夕焼け時分の風景は素晴らしいと思います。また神社の北側には魚見塚古墳があります。この古墳(塚)と神社は、神話で語られていますね。(神話の内容は割愛します)表の参道(大橋川沿い)には駐車場がありません。神社の裏手に砂利土地の専用駐車場がありますので、神社手前から側道に入って下さい。ただし側道は狭く、地域の方の住宅があるので安全運転に徹してください。
対岸は賑やかですが、此方は驚くほどしずかな場所です。
大橋川に向かった神社⛩
当社の由緒を郷土誌等にあたると、そもそも藩期には多賀神社とよばれ、維新を経て朝酌下神社と改称。昭和三十一年に再び多賀神社と改称し今日に至る。風土記にいう朝酌上下社の別については諸説があるが、凡そ当社を下社に比定する。明治四十年には東の福富神社、北の朝酌上神社を合祀し、朝酌一帯の総社として確たる位置づけになった。神話に依れば、須佐之男命が新羅国より土船に乗って青木を積んで渡り来た際、鎮守の森の多賀明神が「此の神崎を青木積みて通る日本は我国なり。この岸に船を留めて、汝は岸に上がるべし。我は此れにあり。」と言われると、俄かに波荒れて乗り来られた船はしずみ、つんでいた青木は根付いて小山を形成、そこに明神が宮造りなされたと伝わる。また陸に上がって鳥上山に向われた須佐之男命も朝酌の瀬戸の豊かなるを見て、御魚をしばしば取りに来たよし。また神有月には命は猿田彦命と恵比須大神に川で魚を取るようにも命じ、八百万の神もこの様を見て楽しんだという。いま神前の川に竹を数本指されるのは、魚をとるこの故事由縁する。
素盞嗚尊命が新羅国より埴土の舟に乗り出雲国に渡り、この地に船を留め宮を作ったとの伝承。
名前 |
多賀神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
HP |
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-shimane/jsearch3shimane.php?jinjya=29575 |
評価 |
4.3 |
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隣の山は古墳。