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弘化4年(1847年)川底をさらうことにより、四郎ヶ原から厚狭川河口の下津まで船の運航ができるようになりました。明治になってから、さらに上流の大嶺村岩倉まで船が通えるようになり米などの運搬に船便が活用されました。この細長く立っている石は、船をつないだ石です。この場所に行くには、JR美祢線の線路を横切ります。踏み切りはないので、じゅうぶんな注意が必要です。