白鹿城と一緒にハイキング。
白鹿城跡の特徴
標高150mの白鹿山は、気軽に登れるハイキングコースです。
西ノ谷登山口から本丸までの道は整備されて歩きやすいです。
採石場跡地から進むと、滝や巨岩を楽しめる探訪ルートがあります。
ハイキングコースとなっており、真山城と共に登りました。尼子十旗のひとつです。
白鹿城は尼子氏の重要防衛ラインである尼子十旗の第一であった。城主は松田氏。尼子氏と毛利氏の激戦の舞台でもある(白鹿城の戦い)西の谷登山口からの登城が最も便利だと思う。白鹿城の標高は約150m程度だが、ここからならあまり登らずに城跡まで400m程度で到達することができる。また、西の谷登山口の近くに車を数台とめることのできる駐車スペースもあります。遺構は曲輪、竪堀、土塁などが確認できるが特筆すべきものは特にない印象。本丸もあまり広くない。連郭式に郭が連なるがひとつひとつの郭はあまり大きくない。正直、尼子十旗の第一と激戦の歴史からすれば少し寂しい城跡だと感じた。
標高150mの白鹿山には、戦国時代に尼子晴久の義兄である松田左近誠保を城主とする白鹿城(尼子十旗のひとつ)が所在しました。白鹿城は1562年に毛利軍の出雲侵攻の際包囲され、兵糧水を断たれて籠城一年で落城したといわれています。今も井戸の跡や本丸跡、山頂には白鹿神社が祀られているなどの痕跡が残っています。山頂へは西ノ谷登山口から登りましたが、道程は324mほどなのでゆっくり歩いても時間は掛かりませんでした。枯れ葉が積もった登山道は傾斜も緩く、分岐点が多いものの案内板があるので歩きやすいですね。
城域の西側に駐車スペース、登城口が有ります。西側の曲輪の裾に登城路が作られ、西側の曲輪は通らず主郭に至ります。本丸と一の床との分岐あり、頂上は本丸ではなく一の床のほうです。一の床は東西に細長く、特に北側が急斜面です。南東のほうから二の床に下れます。雷とゲリラ豪雨の合間に訪れたので、三の床など南側の曲輪は未踏です。全体的に草木に覆われており尼子十旗の一として整備が待たれます。
山頂訪問者用に城跡の歴史、城の概要、遊歩道等の説明があれば良いのに…看板は登山口にはありますので事前確認を!■アクセス︰西ノ谷登山口から徒歩15分程度、歩道は整備されています。登山口に駐車場スペースは若干あり。■城跡︰石垣なく…城跡の痕跡は素人の私にはわかりにくい。■その他︰山頂に広場やベンチ、眺望もなく…単に林の中。お弁当持ってピクニックの雰囲気は薄い。
もう少し整備してあればいいですが。登ると鬱蒼として何も見えませんので、もしかしたら迷うかも。戦国時代の山城です。結構険しいんで覚悟して登ったがいいです。
山登りになれた方なら良いですが不馴れな方はとても天気が良い日をオススメします。雨の翌日等は足元がとても滑りやすいのでかなり注意が必要です。西の谷登山口からがオススメです。
標高150mで気軽に登れる山です。かつて、戦国大名尼子氏の重要な拠点の一つ、白鹿城があった山で、島根半島と尼子氏の本拠地である月山富田城とを結ぶ重要拠点であったことから、1563年8月に毛利元就が軍勢1万5千を率い、この城を攻略しました。城主松田誠保以下の城兵2千は、数で勝る毛利軍に対して、優勢に戦いを進めていましたが、月山富田城からの救援軍1万が眼下であっけなく毛利軍に敗れると、兵糧・水の欠乏もあり力尽き、11月に降伏となりました。道は、おそらく地元の有志の方々によって、割と整備されており、北側の真山林道沿いの西の谷登山口、南の長谷(ながたに)登山口、南西のうぐいす谷登山口のいずれかが定番かと思います。東の常福寺川沿いの白鹿谷筋は、倒木が多く、歩きにくいです。うぐいす谷登山口は急坂があります。車でお越しの場合には、駐車スペースのある、西の谷登山口から登り降りするか、長谷登山口から登りうぐいす谷登山口へ降りて、一般道を10分余りの徒歩で元の場所に戻ることも出来ます(或いは逆のルートでも)。行程は、長くて1時間余りだと思います。白鹿山の山頂からの眺めは、木が生い茂ってあまり良くありませんが、うぐいす台登山口の近くの小白鹿山からの景色は奇麗です。(21/2/24)
気軽に散歩な気持ちで登れる山でした。小さい子がいても登れます。城跡は言われないとわからない程度だけど、気軽な感じが良かった。
名前 |
白鹿城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
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西ノ谷登山口は、2台ほどの駐車スペースがあり登山口から本丸までは、400メートルぐらいで登山道も整備されていて歩きやすかったです。本丸跡周辺は、あまり広くなく当時は、小さな本丸とだと思いました。