俵藤太の大ムカデ退治伝説を訪れる。
俵藤太の像の特徴
階段を上がった先にある俵藤太の像は、印象的な彫刻です。
しっかりとした説明の看板で、理解しやすく展示されています。
大津市唐橋町で特別な彫刻体験が楽しめる場所です。
写真の撮影日時は2026.06.24(水)08:41。先ほど Google map に“情報の修正”(場所、位置)を送信した。俵藤太の像はせたかわ/瀬田川の欄干の銘板(石山寺側、JR 瀬田駅方面)の小高い丘の一番奥にある。その横に、瀬田川を背にしたかたちで明治天皇に関する記念碑(恐らく行幸記念碑)、これら二つの像の前(唐橋寄り)に水準点、それより手前に水難供養のお地蔵さま、最も唐橋寄りにあるのは明治~大正期の歌人西沢十七星さんの句碑である。はるか昔、どこの国でも同じだと思うが、地図は人が見知らぬ場所を訪ねるのに最も大切なアイテムだった。これは、旅行でも探索でも冒険でも同じことだと思う。日本国内で言えば、国土面積が狭いわりに戦乱が多いという特徴があると思う。◯◯の乱、◯◯の戦いなど、地名や年号、十干十二支(例えば、壬申の乱や戊辰戦争など)、人名が付いた争い(古い表現では戦 イクサ、合戦など)がとても多く、第一次的資料が少ない場合、数多くの伝承や伝説が多いのも特徴の一つかと思う。しかし、西暦 2,000 年もとうに過ぎた現在はインターネットや AI の劇的な発展により今までは謎とされてきた歴史の真相に迫るような調査や分析ができる時代となった。AI がホワイトカラー層の人々の仕事を奪うとか、AI による新たな戦争手法(無人の戦略爆撃機、ドローンを用いた攻撃)など、平和には程遠い、AI の“良からぬ”側面が最近の論評に見えるが、視点が変わり、AI が生きとし生けるものへ、良いものを齎 モタラ す産物であることを祈念している。これは、一度投稿したものを削除し、再度投稿するものであり、こちらに俵藤太の像周辺の記念碑・句碑・水準点・水難供養のお地蔵さま、最寄りの唐橋の欄干の写真を併せて掲載する。また、俵藤太というのは通称で、本来の姓名は藤原秀郷である。長文になるので、藤原秀郷の基本データはここでは略する。藤原秀郷は平安時代の豪族、武将で、藤原北家魚名流を名乗った。都(天皇の在所)が京都にあったころ、関東以北と瀬戸内海で興きた反乱(天慶の乱)で、二人の反乱の首謀者のうちの一人・平将門を討伐した人物として日本史上に名の残る人物である(反乱の首謀者のもう一人は藤原純友)。また、滋賀県に所縁の俵藤太(藤原秀郷)に関する言い伝えは、三上山(現在の滋賀県湖南地域にある山)を八巻(八回廻るほど)したと言われる大百足 オオムカデを、琵琶湖に棲む龍神の願いにより退治したという伝説である。今昔物語に俵藤太という名称が初出し、室町時代には『俵藤太絵巻』が作成されたという。かれこれ 1,000 年以上前の話である。また、こちらの像の最寄り駅は京阪電鉄(石山坂本線)唐橋前駅である。合掌。
瀬田の唐橋にまつわる「大ムカデ退治」の伝説で知られる英雄、俵藤太(藤原秀郷)の像が、実はこの近くの高台にひっそりと立っています。俵藤太(藤原秀郷)の像のすぐ隣には「明治天皇聖蹟」の石碑も建立されており、この地がいかに歴史的に重要な場所であったかが伝わってきます。また、高台へと続く階段の脇には趣のある句碑も置かれており、満開の桜を愛でながら一句詠みたくなるような静寂に包まれています。桜の木々に囲まれた場所にあり、満開の季節は像とのコントラストがとても綺麗です。 外国人観光客の方が散策されているのを見かけて初めて気づきましたが、ここからの琵琶湖や唐橋方面への眺望は素晴らしく、隠れた絶景スポットだと言えます。
立派な像ですが、案内板は無かった。(ありましたか?)
橋のたもとの石段を登って入ります。草がかなり生えている。ここから見る川の景色が良い。
しっかりと説明の看板もあり、分かりやすくしておられます。
階段を上がった先にあります。
| 名前 |
俵藤太の像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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唐橋にまつわる藤原秀郷通称「俵藤太」の大ムカデ退治伝説に因んだ象。中洲の少し丘陵上に上がった場所。でもなんか目立たない。