脇本遺跡で感じる大王の歴史。
脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地)の特徴
倭王権の象徴、第21代雄略天皇の遺跡です。
雄略天皇の大泊瀬朝倉宮があった場所です。
歴史的背景を感じることができるスポットです。
昔は秋祭りもしました。懐かしい。
脇本遺跡は、三輪山と外鎌山(忍坂山)に挟まれた泊瀬谷の入り口にあたる場所にあり、飛鳥に宮が移るまで三輪山の西南麓から香具山あたり一帯は、大王(天皇)や皇后の宮が十三もあったと伝えられ大和王権の中心地域だったとのこと。5世紀の雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)跡、6世紀の欽明朝の行宮の泊瀬列城宮(はつせなみきのみや)跡 、7世紀の大伯皇女の斎宮跡などの可能性があり、断続的に発掘調査が行われているみたいですね。王都が三輪山の西から、西南地域に移り、そして飛鳥へと南下していく。面白いですね。
令和7年3月23日 第9回万葉ウォーキングにて訪問昭和59年(1984)桜井市と橿原考古学研究所が中心となった発掘調査の結果、総合的な判断から脇本遺跡の五世紀後半の建物遺構は『記紀』にみえる雄略天皇の泊瀬朝倉宮にかかわる建物の可能性が非常に高いと見なされたとある。春日神社境内にて講師の教授陣から「はつせ」や「こもりく」等を含む万葉歌についての解説を伺う。
倭王権の時代に大和川上流の大泊瀬の地に御鎮座された第21代雄略天皇の大泊瀬朝倉宮、雄略天皇は中国史でも歴史に残る5国の大王の武と呼ばれていました。埼玉から熊本迄、勢力を拡大しその痕跡は2刀の鉄剣にて証明されています。大初瀬朝倉宮の宮殿史跡場所、考古学の出土品から宮殿が在った場所と推測しほぼ間違いないとされています。今はその跡には春日神社のお社が在り周りは田んぼや家屋が有りその規模は大きかったと推測します。雄略天皇は伊勢神宮の外宮を創設されており農工や農産物及び食材に関わる豊受大神をお祭りし当時の大和王権の勢力と相まりいかに重要な時代だった事が伺えます。そして非常に狩りの上手で好きな陛下は葛城の豪族の方と一緒に狩りをされその事からも非常に食に精通された天皇陛下で御座いました。
脇本遺跡。雄略天皇 泊瀬 朝倉宮伝承地、武烈天皇泊瀬列城宮。
| 名前 |
脇本遺跡(雄略天皇泊瀬朝倉宮推定地) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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