満開の桜と歴史が息づく、服部神社へ。
服部神社の特徴
服部神社は古式由緒のある式内社で歴史を感じられます。
機織りの服部に由来する立派な由緒書が存在しています。
静かな境内には満開の桜があり、訪れる価値があります。
集落の細い路地に入るのですれ違いに注意。
「服部神社」は古式由緒の式内社。服部(はっとり)はふくべ(福部)とも読めます。衣服、機織りの神様が奉られています。「服部神社」には承徳2年(1099年)平安時代の後期、因幡国司の平時範(たいらのときのり)が巡拝に訪れています(時範45歳)。他に時範は2社(法美郡の宇倍神社・巨濃郡の美取神社)も合わせて巡拝しており、いずれも式内社にて当時の因幡一宮として崇められた神社です。「服部神社」はその3社中の1社で当時から格式高い神社です。境内は随所に歴史と格式が静かに光ります。
延喜式内社 古代に機織りの服部(はとりべ)が所在していたことにちなむ。平安期の国司神拝の要衝の神社。本殿は拝殿のさらに上にありより天に登る感がある。服部神社祭礼行事保存会による麒麟獅子舞が4月の服部神社大祭に奉納されている。本殿、拝殿、幣殿、神楽殿、神饌所、神楽庫氏子戸数 六十三戸神饌幣帛料供進神社。
「服部神社」は古式由緒の式内社。服部(はっとり)はふくべ(福部)とも読めます。衣服、機織りの神様が奉られています。「服部神社」には承徳2年(1099年)平安時代の後期、因幡国司の平時範(たいらのときのり)が巡拝に訪れています(時範45歳)。他に時範は2社(法美郡の宇倍神社・巨濃郡の美取神社)も合わせて巡拝しており、いずれも式内社にて当時の因幡一宮として崇められた神社です。「服部神社」はその3社中の1社で当時から格式高い神社です。境内は随所に歴史と格式が静かに光ります。
立派な御由緒書があり風格を感じます。自動車で行く場合神社の横の坂道を少し上がると神社のすぐ横に止められますが私は下の道の脇に止めました。
階段の両脇にある桜が満開だったのでつい寄ってみました。春爛漫ってやつで、一人で来ましたがすごいほっこり幸せな気分になれました。手を洗う場所からの眺めも絶景🌸🌸🌸ありがとうございます(๑˃̵ᴗ˂̵)
階段の両脇にある桜が満開だったのでつい寄ってみました。春爛漫ってやつで、一人で来ましたがすごいほっこり幸せな気分になれました。手を洗う場所からの眺めも絶景🌸🌸🌸ありがとうございます(๑˃̵ᴗ˂̵)
| 名前 |
服部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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服部神社(はっとりじんじゃ)。鳥取県鳥取市福部町海士。式内社(小)、旧村社。【祭神】天羽槌雄命 天棚機姫命 素佐雄命【関係氏族】服部・海部資料によると、『続日本紀』和銅5年(721年)7月に「始織綾錦」とある。平安時代前期の貞観16年(874年)5月、従五位上に進んだ。古代この地に織部が置かれ絹を織ることを業とした。地名も「服」と号し機織の業の発達進歩を祈って機織の神を尊崇し本社を創立勧請したと思われる。「始織綾錦」とあるのは、そういう事か。承徳3年(1099年)、平時範が因幡国の国守として下向し、参拝したというが、以降は衰微したようだ。もとは現在地の南約800m、川向うの小字御内谷と称する谷隘に鎮座していたが、江戸時代前期の寛永13年(1636年)、現在地に遷座したという。現存する最も古い棟札は、幕末の弘化2年(1845年)のもの。「服部大明神」とある。厳島大明神(弁才天)が末社で祀られていたようだ。厳島大明神の痕跡はすでになく、合祀されているとされる。近世を通じて、二所大明神・二所八幡宮などとも呼ばれたという。明治元年(1868年)、現社号に改称、明治3年(1870年)11月には幣殿と拝殿を建立した。明治4年(1871年)9月、玉殿(本殿)を再建した。明治29年(1896年)7月、神饌殿が建立され、明治41年(1908年)11月19日、神饌幣帛料供進社に指定された。大正12年(1923年)5月8日、蒲野部村大字服部字阿弥陀寺鎮座の無格社小河原神社(素盞嗚尊)を合祀した。昭和18年(1943年)9月10日に発生した鳥取大震災で、当社も被災、幣殿・拝殿が倒壊したが、昭和22年(1947年)5月に再建された。昭和57年(1982年)4月、本殿の大屋根を銅板で葺き替え、回廊などが修理された。昭和60年(1985年)4月、石造の明神鳥居が建立された。平成元年(1989年)5月、境内地東側を拡張・埋立、平成5年(1993年)10月には幣殿・拝殿がともに瓦葺きで総改築された。御祭神は不詳とされるが、社号から考えて、天羽槌雄命・天棚機姫命とされる場合がある。古くから疫神送りに霊験あらたかとされ、氏子はもとより、近在の人々の信仰を集めた。現在も当地の氏神として崇敬されている。とあります。