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名前 |
明官地廃寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
読みは「みょうかんち」、7世紀後半の創建と考えられ、県西部では最古級の寺院跡であり、山田寺式軒丸瓦を出土する寺院跡としては、県内分布域の西端部に位置していた。発掘調査により、「高宮郡内マ(部)寺」とヘラで刻まれた平瓦が出土し、当時この地は内部(うちべ)郷で、奈良時代には郷名を冠した「内部寺」と呼ばれていたことが分かった。南に塔、北に金堂(または、講堂)とみられる建物跡の他、多くの瓦や鴟尾(しび・尾根飾り)、奈良三彩(ならさんさい・焼物の高級品)、須恵器の火舎獣脚(かしゃじゅうきゃく・香炉の支脚)など、寺院に関わる貴重な遺物が見つかっている。