舞鶴港で知る引揚の歴史。
舞鶴引揚記念館の特徴
太平洋戦争後の引揚をテーマにした悲劇を実感できる場所です。
引揚船が着いた舞鶴港の歴史を知ることができる貴重な展示物があります。
引揚に関する短い動画が繰り返し放映され、学びの深い環境が整っています。
戦争の悲劇を実感できました。1つ目は 引き上げという大事業に関する。戦争が終わったのに、日本の地を目指す途中で亡くなった方々の無念を思うと胸が痛みます。2つ目は シベリア抑留。シベリア拉致強制労働と言った方がいいでしょう。ソ連の蛮行には怒りしかありませんが、そんな絶望的な状況を生き抜いた人たちがいたということも記憶すべきでしょう。3つ目は そのシベリアでのクロに関するお話。どんな絶望的な状況でも動物が癒してくれるっていう感動的でした。
太平洋戦争後の満州・旧ソ連からの引揚を扱った博物館です。シベリアでの生活をリアルに再現した部屋もあり、当時の生活の辛さがよく伝わりました。
全国に散在していた引揚者受け入れ港のなかで最後まで引揚船が来ていたという舞鶴港。昭和33年まで引揚が続いてたなんて全く知りませんでした。平日の午前中で来客がほとんどなかったので、ボランティアの爺さまにつきっきりで説明していただきました。大変勉強になりました。見終わったら併設された引揚カフェでコーヒー飲んでソフトクリーム食べてバスで駅まで向かいました。個人的には赤レンガのとこよりもだいぶ興味深い場所だと感じました。
貴重な展示物とラーゲリが再現されています。喫茶店と売店が併設されています。赤レンガ博物館との共通券がお得です。
赤レンガ博物館との共通券を買うと、別々に買うより200円お得です。小さな記念館ですが、喫茶店があり、ちょっとしたお土産も売っています。
何の記念館なのか、事前に少し知識を入れてから訪問した方が良いかと思います。とても大切な事が伝わると思います。
ヒット曲「岸壁の母」で知られる引揚の街、舞鶴。モデルとなった「端野いせ」さんは息子「新二」の帰りを待ち続けたということですが、死亡認定書が出されてもナホトカからの引揚船が入港する度、東京から舞鶴まで足を運んでいたそうです。ウィキ情報によれば息子新二氏は養子で実は戦後も生存しており、あえて帰国しなかったとなっています。シベリア抑留は山崎豊子の「不毛地帯」による知識しかなく、以前から訪れたいと思っていましたが政治的にニュートラルで淡々とした展示形式といった印象です。館内を見た後は展望台まで足を運んでみるといいでしょう。眼下に復元された引揚桟橋が見えます。入館料は400円、赤レンガ博物館とのセットで600円、現金オンリーでした。
ようやく行けました。なぜ舞鶴が満州からの引揚げの港になったのかを、自分で調べる事ができた。舞鶴は、軍港。現在も自衛隊や海上保安庁などが港をつかっている。早い話、人々を満州へ追い出した港でもある。責任取って受入れ港を装っただけ。引揚げを美談にしているのが多いが、人々を日本から追い出した責任取るのはあたりまえ。満州への追い出しに関しては、長野の「満蒙平和記念館」がその非道さと人々の苦しみを伝えてくれている。戦争反対と言いながら、軍事力を保持し、多額の税金を今も注ぎ込んでいる。明治前にはあり得ない倫理観。人として非常に情けない。
バスの本数が少ないので、要注意。バスの折り返し1時間で、・展望台早歩き20分・羅針盤のカレー20分・館内見学20分ちょっと駆け足でしたが、なんとか十分に満喫できました。
名前 |
舞鶴引揚記念館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0773-68-0836 |
住所 |
〒625-0133 京都府舞鶴市平1584 内 引揚記念公園 |
HP | |
評価 |
4.1 |
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初めての訪問でした。タイムトンネルに入ると、映画 ラーゲリより愛をこめて で観た情景が瞬く間に蘇りました。政府が指定した引揚港としては最後まで使命を果たした事で全国に名を広め、収蔵資料がユネスコの世界記憶遺産に登録されたそうです。中でも必見なのは、本来持ち帰ることが出来なかった白樺の皮に炭で歌などが書き記されたものです。映画ラーゲリでは、奥さんへの手紙を皆が少しずつ脳裏に記憶し届けるという方法で母国に持ち込んだので、厳しい検閲をかいくぐり持ち帰った本当に貴重な資料だと思います。書かれていた文字は繊細で凄く綺麗な字でした。記念館では、ボランティアの方々が40分くらいかけて、説明してくださいます。時間がなく行けませんでしたが、次回は岩壁の母で有名な、全国から寄付を集めて作られた桟橋を見に行きたいと思います。