島津隊の歴史、勝地坂を体感!
勝地坂は【島津隊】が駆け抜けた『島津の退き口』に関係する史跡となっています。【島津義弘】は関ヶ原の合戦にて西軍が敗退すると関ケ原を撤退。【徳川家康軍】を掠める様にして撤退劇を繰り広げたのが世に言う【敵中突破・島津の退き口】である。(『鳥頭坂』『牧田上野』も参照)豊久隊が先陣をきり『鳥頭坂』へ、『殿(しんがり)戦』『捨て奸(すてがまり)』が始まる。【本多忠勝】【井伊直政】【松平忠吉】の追撃軍を阻止すが、豊久13隊は槍で突かれ全滅。豊久は鳥頭坂を脱して牧田川を下る。家老【長寿院盛淳】は『牧田上野』にて義弘の身代わり戦にて18の従士と絶命。『勝地坂』の麓『一之瀬』辺りにて、最後まで追撃して来た【直政】は銃弾を受け負傷。井伊隊の追撃は撤退をはじめ【義弘】の撤退は成功する。豊久は伊勢街道を駆け抜けこの【勝地坂】に辿り着いたとされる。豊久は残兵の助けを借りながら伊勢西街道【勝地峠】を越え上多羅の【樫原】にある【正覚山薬師寺】現在の【瑠璃光寺】に辿り着きます。勝地峠の看板と石碑の間には古道があり、地形からして本来の西伊勢街道なのか、そこから豊久は登って辿り着いたのではないのかと思われます。※ここから先の登った砂利道に注意。数分は先へ行けますが行き止まりになります。
名前 |
勝地峠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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この峠は林道で、北からの道はゲートで封鎖されていました。南側からは入ることができました。