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名前 |
【戦国武将】小早川正平之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
何かしらの縁がなければ訪問しようとはあまり感じないと思いますが、墓地周辺は綺麗にされています。民家の横を通るのが、若干気がかりです。近くにある興源寺は小早川隆景が正平の菩提を弔うために建立した寺院だそうです。隆景公の正室である問田大方妃が正平公の娘であるため、この遠方の出雲まで弔いを行ったのは隆景公の強い想いを感じます。なお、小早川正平公は広島県三原市の成就寺が菩提寺になっているため、戒名に成就寺殿前との記載があります。歴史的な経緯は以下転載となります。はじめ大内氏に従属していたが、天文8年(1539年)に大内氏を裏切って尼子氏に従属しようとした。しかし事前に大内義隆に事が露見したため、義隆によって派遣された大内軍によって居城の高山城を占領され、さらに大内氏の城番を派遣されて監視下に置かれることとなった。天文11年(1542年)、大内義隆が出雲遠征を開始すると(月山富田城の戦い)、それに従軍した。しかし大内軍が大敗を喫して全軍撤退となったとき、義隆より殿軍を命じられ、天文12年(1543年)5月9日に尼子軍の攻撃を受けて出雲鳶巣川にて21歳で討死したとのこと。