片桐氏発祥の地で味わう歴史の一品。
片桐氏発祥の地の特徴
片桐且元の先祖の地として歴史的価値が高い場所です。
日本の氏族、片桐氏のゆかりの地を訪れることができます。
歴史好きにはたまらない、片桐氏に関連するスポットです。
片桐氏発祥の地片桐氏は、日本の氏族の一つ。日本の武家、国人領主、大名、旗本の氏族として知られる。清和源氏満快流を称する。片切一族は平安末期には河内源氏嫡流家の郎党として従軍した。この時期の当主としては『保元物語』にその活躍が記される片切景重(片切小八郎大夫)が著名である。『寛政重修諸家譜』では近江に移住し「片桐」と改めたとしている。なお、同家譜は「源祐」より「為頼」まで10代以上抜けており、系図は所持していなかったと考えられている。片桐氏家紋:丸に違い鷹の羽、亀甲の内花菱本姓:清和源氏満快流家祖:武家 華族(子爵)信濃国伊那郡片切郷近江国伊香『吾妻鏡』には景重の跡を継いだ片切為康。が源頼朝本人から歓待されたこと、平家に没収されていた所領が20数年ぶりに返還されたことが記されている(寿永3年「1184年」6月23日の項)。承久の乱において、片切氏の一族は小笠原氏・武田氏を主将として中山道を進んだ幕府軍の一部として上洛した。この時、片切源太、太郎、又太郎は上皇方に包囲された京都守護伊賀光季の手勢として奮戦した。片切三郎が『承久記』「尾張の国にして官軍合戦の事」に見えている。この承久の乱の恩賞として、為頼の代に美濃国彦次郷を拝領し移住する。その後、近江国伊香郡高月村(現・滋賀県長浜市)に所領を得て土着する。為頼の子孫にあたる戦国時代の当主片桐直貞は北近江の戦国大名である浅井氏の家臣となり、その子且元は浅井氏の滅亡後に賤ヶ岳の七本槍の一人として豊臣政権下で頭角を現し摂津国茨木に1万石を与えられて諸侯に列した。そして関ヶ原の戦いの後に大和国竜田藩へ移封され、大坂の陣の後には4万石に加増されるが、且元の子孝利には嗣子はなく、且元・四男為元が継ぐが後に断絶した。一方、貞隆(且元の弟)は大和国小泉の地(奈良県大和郡山市小泉町)に1万石を与えられて小泉藩を立藩、後に加増され1万6千石となる。貞隆の子で小泉藩2代藩主となった貞昌(片桐石州)は茶人として名を馳せ茶道・石州流の流祖として知られており、以後小泉藩主家は他家から2度養子を迎えたものの、断絶することなく幕末まで続き、明治維新後は子爵に叙された。また、小泉藩初代藩主貞隆の庶子で3千石を分知された貞晴の家系、および2代藩主貞昌の長子で1千石を分知された下條信隆の家系は、代々旗本として存続した。
| 名前 |
片桐氏発祥の地 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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