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名前 |
忠魂碑・明治丗七八年戦役紀念碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
神社境内に良くある戦没者慰霊碑(忠魂碑)又は凱旋記念碑であるが,その人名の中に近藤勇の孫が含まれている。含まれているのは,中央の碑石と右手の忠魂碑である(左手の漢文碑は,日清戦争に関するもので近藤久太郎とは関係がない。)。実際に,裏面には「現役陸軍騎兵一等卒 近藤久太郎 病死」とあり,隣の忠魂碑裏面にも同様であった。なお,近藤久太郎は,国家からの勲功は得られなかった様である。正面の観察に戻る。中央の石碑には「明治卅七八年戦役紀念碑」と刻まれている。随分と窮屈に書かれている様だ。揮毫は中村克昌。案内板には,中村は多摩三筆の一人に数えられた書家云々とあるが,初めて聞いた。調べるに,石坂昌孝及び吉野泰三が残りの二筆とのこと。実業家及び政治家としても活躍した様である。また彼の父は,近藤勇が甲陽鎮撫隊を率いて甲府に向かう途中に立ち寄って歓待を受けた上石原宿の名主であった中村勘六とされるらしい。ただ,「克昌の父親と久太郎の母方の祖父が過去に一度だけ会ったことがあったぞ」程度の関係なので,これを理由に揮毫を頼まれた様には思えない。偶然の一致なのだろう。