1850年の歴史を感じるけやき。
総持寺のけやきの特徴
境内左手に植わる歴史あるけやきの木です。
異なる時代の歴史を感じられる妙見堂の前にあります。
1850年に再建を記念して植樹された貴重な一本です。
本堂建て替え時に植樹されたと言われている欅。
本樹は田無地域における最大級の単幹樹木で、市内の巨樹が近年とみに減少している中で貴重な存在です。天保13年(1842年)から嘉永3年(1850年)にかけて西光寺(現總持寺)の本堂を再建した折に、その落慶を記念して境内に植えた樹木の内の1本であると言い伝えられています。
境内左手にある大きなけやきの木。
歴史ある樹木です。
總持寺の山門をくぐり、左手にある妙見堂のすぐ前に植わっているケヤキです。嘉永3年(1850年)に本堂が完成した記念に植樹されたケヤキとの事です。苗木からの育成ならば、樹齢は2021年現在171年以上を数えると考えられます。總持寺の山門近くの戦災供養の碑を見る限り、田無では駅を中心に空襲を受けたようですが、ケヤキやお寺に類焼するような攻撃がなかった事は不幸中の幸いでした。なお、武蔵野では古くからケヤキは防風のための雑木林や、防火の目的と共に、材が硬い事から建築資材や農具の材料などに用いられたとの事でした。
嘉永3年(1850年)、本堂は完成し、普請成就供養が行われた。その落成を紀念して、境内にケヤキほか数種の樹木を植栽し、その中の一樹が境内にある大ケヤキであると言い伝えられている。
総持寺は西光寺と呼んでいた頃、本堂が大破し、西光寺住職と田無村名主・下田半兵衛によって1850年に再建されたのを記念して、境内に植樹された中の一本がこのけやきです。境内に聳える樹は威風堂々、命宿るかのようです。大樹は冬には葉を落として境内に陽だまりをつくり、夏は木陰に涼を呼ぶ。四季折々に自然の恵みを享受して人々に分けへだてなく供与する。多摩地域にはけやきの大樹が多いが、それは古くから風が強く、強風を防ぐ為にけやきが植えられたようです。燃えにくく防火にも役立ち、材が硬いから建築資材や農耕具にも用いられて、非常に優れた木です。見た目も美しい。門前の大通りからも見えるこの木は、道往く人に潤いを与えてくれて、気持が和みます。
| 名前 |
総持寺のけやき |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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この周辺はかつて武蔵野と呼ばれ、ススキ(萩)の生い茂る台地に小規模の雑木林が点在する荒れ野でした。古い時代の武蔵野はこのように描出されています。「天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し(国木田独歩、1901年)」「あふ人に問へど変わらぬ同じ名の 幾日になりぬ武蔵野の原(新古今和歌集、1205年)」昭和40年代に入っても、この周辺はそんな武蔵野の姿を色濃く残す地域でした。この近辺に住んでいた従弟と草っぱを駆け雑木林に入り、筆者はカブトムシやらクワガタを獲ったものです。つい最近まで、この周囲はそんな場所だったのです。で、この総持寺のけやきです。樹高30mを越える巨樹です。一説には1850年の本堂再建時に植樹された一本とされています。しかしこの樹齢を700年とする記録もあり、正確なところは不明のようです。ちなみに縄文杉は樹齢約7,000年、川古のクスが約3,000年、北金ヶ沢のイチョウが約1,000年とされています。ところで記録に残る「人間の最高齢」はジャンヌ・カルマン(Jeanne-Louise Calment)の122歳164日。最高とは言え植物の1/10以下の短さです。これは人間の細胞分裂の回数に「ヘイフリック限界」があるからです。約50回と言われるその限界を超えると細胞は急速に老化するのです。例えるならアナログ・コピーを繰り返すと画像が次第にぼけてゆくようなものでしょうか。でもご安心ください、我々にはヒーラ細胞(HeLa細胞)がありますから.............2026.1.20