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名前 |
元ロシア人兵士之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
説明板にはこんな事が書かれていました。以下抜粋です。日露戦争(明治37〜38年)においては、戦後、多くのロシア軍兵士が捕虜となり国内各地に収容された。高崎市においては龍廣寺を初めとする寺院に500数名の捕虜が収容された。そのうち傷病兵だったニコライ トカチューク、ステパン シュレトク、サムプリンメルニチェンコの三兵士は療養の甲斐無く死去したので、陸軍墓地であったこの地に葬られた。その後、第二次世界大戦中には、これが破壊されるおそれもあり、一時は地下に埋めて隠したこともあったが、昭和51年に、龍廣寺住職と日ソ親善協会高崎支部など関係者の協力により現状のように改修された。西洋式の3基の墓碑は台上に東向きに安置され、墓石面には上部にロシア語で銘文、中央に大きな十字架、その左右に日本語で、所属部隊、階級、年齢、没年月日がきざまれている。本史跡は、明治以来、高崎十五連隊が所在していたことを象徴する貴重な文化財である、と記載されている。そして、この墓は、日本人(戦士)の忠霊之碑、戦士病没者之碑、幾多の戦死者の墓の隣にあります。ここは、只、両国の英霊の冥福を祈るところですが、同時に複雑な感情を持つことになりました。合掌。