山門潜りで墓地探訪!
元ロシア人兵士之墓の特徴
山門を潜るとお墓の位置がすぐに分かる、分かりやすい案内が魅力です。
工事中でも墓地入口が分かりやすく、訪問しやすい環境が整っています。
2回訪れた際も迷わずたどり着ける、親切な案内表示が好評です。
説明板にはこんな事が書かれていました。以下抜粋です。日露戦争(明治37〜38年)においては、戦後、多くのロシア軍兵士が捕虜となり国内各地に収容された。高崎市においては龍廣寺を初めとする寺院に500数名の捕虜が収容された。そのうち傷病兵だったニコライ トカチューク、ステパン シュレトク、サムプリンメルニチェンコの三兵士は療養の甲斐無く死去したので、陸軍墓地であったこの地に葬られた。その後、第二次世界大戦中には、これが破壊されるおそれもあり、一時は地下に埋めて隠したこともあったが、昭和51年に、龍廣寺住職と日ソ親善協会高崎支部など関係者の協力により現状のように改修された。西洋式の3基の墓碑は台上に東向きに安置され、墓石面には上部にロシア語で銘文、中央に大きな十字架、その左右に日本語で、所属部隊、階級、年齢、没年月日がきざまれている。本史跡は、明治以来、高崎十五連隊が所在していたことを象徴する貴重な文化財である、と記載されている。そして、この墓は、日本人(戦士)の忠霊之碑、戦士病没者之碑、幾多の戦死者の墓の隣にあります。ここは、只、両国の英霊の冥福を祈るところですが、同時に複雑な感情を持つことになりました。合掌。
2回ほど訪れた。旧日本軍兵士の墓に隣接して建立されており、3名のロシア人兵士が眠っている。
| 名前 |
元ロシア人兵士之墓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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山門潜って(工事中で潜れなかったけど)、すぐ左手に墓地入口があり、そこにお墓の位置が示されていたので、迷わずたどり着くことができました。ロシア人兵士と聞いて、いつの時代なのかと思いましたが、お墓の隣のあった説明板によれば日露戦争での捕虜なのだそうです。故郷からずいぶん離れた場所で亡くなったのですね。お墓の隣に大きな早咲きの桜?が綺麗に咲いていました。せめてもの慰めになれば。高崎市指定史跡 元ロシア人兵士之墓所在地 高崎市若松町八五番地一(龍廣寺)指定年月日 昭和六十一年二月十三日日露戦争(明治三十七~八年)においては、数多くのロシア軍兵士が捕虜となり、国内各地に収容された。高崎においても龍廣寺を初めとする市内の寺院などに五百数十名の捕虜が収容された。そのうち傷病兵だったニコライ・トカチューク (二十六才)、ステパン・シェレノーク(ニ十ニオ)、サムプソン・メルニチュンコ(二十九才)の三兵士は療養のかいなく死去したので、陸軍墓地であったこの地に葬られた。その後第二次大戦中にはこれが破壊されるおそれもあり、一時は地下に埋めて隠されたこともあったが、昭和五十一年に龍廣寺住職、日ソ親善協会高崎支部など関係者の協力により現状のように改修された。西洋式の三基の墓碑は台上に東向きに安置され、墓石面には上部にロシア語で銘文、中央に大きな十字架、その左右に日本語で兵士の所属部隊、階級、年令、没年月日が刻まれている。本史跡は、明治以来高崎十五連隊が所在したことを象徴する貴重な文化財である。高崎市教育委員会。