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名前 |
神護寺(神宮寺)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
立札説明板によると、神護寺または神宮寺と呼ばれ、神仏習合の時代、平安時代後期、伝法院流の祖、興教大師覚鎫(かくばん:1095~1143年)によって開かれたそうです。粟野神社と一体となった寺院で、おそらく真言密教修験の拠点だったと見られます。五重塔などの七堂伽藍を備えた大寺院だった可能性もあります。以上から、粟野(青野)神社は、遅くともその時代に創建されたことがわかります。密教寺院とともに創建されたとすると、8世紀前半に神仏習合の寺社がともに開創されたのかもしれません。大和王権や鎌倉幕府とも深い関係があったはずです。戦国時代に上杉と武田との戦乱の中で衰微し、江戸時代はじめに領主によって長沼城内に移設再興され、その後、貞心寺となったと伝えられています。