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名前 |
六地蔵堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
近所のおばあさんの話では、六地蔵堂がある敷地には昭和中期まで尼僧庵があったそうです。後継者がいなくなたため、庵はなくなったそうです。釈迦堂の丘にある諏訪神社の周りの集落は、鷲寺とよばれていて、かつたは独自の村でした。この集落には、宮大工がつくった寺院や神社の堂舎のような建物がいくつもあります。村全体がひとつの寺院の境内・寺域のなかにある寺町のような印象です。江戸時代の1828年(文政年間)、諏訪社の改修のさいに、諏訪社がある釈迦堂の丘から経塚が発見・発掘されました。塚には仏教典を収めた経筒が珠洲焼の壺に入れられて埋設されていて、経筒の形状・造りから12世紀末頃のものと見られます。鷲寺には平安末期頃から密教修験の拠点となる寺院があったのかもしれません。鷲寺という地名も、かつて古刹があったからつけられたのかも。