米沢の藩校興譲館、歴史の重みを感じて。
藩校興譲館跡の特徴
為せば成る為さねば成らぬの言葉が刻まれています。
米沢の誇りを感じる藩校興譲館の石碑があります。
由緒ある史跡を訪れると、歴史の深みを実感できます。
為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり。
米沢が誇る藩校興譲館の由緒が書き記されています。右の笠石の乗った細長い石柱は古いもので、左の大きな黒石の石碑が平成20年に新たに建てられたものです。石碑の原文は以下のとおりです。「米沢藩第九代藩主上杉治憲(鷹山)公は、大倹約令・殖産興業など藩政改革を進める中、「学問は治国の根源」として、安永五年(一七七六)この地に学問所を再興、師の細井平洲先生によって「興譲館」と命名された。正門は南側にあり、正面奥には孔子を祀る「先聖殿」、その手前の大きな建物は講堂である。学寮には藩士から選ばれた二十名の俊秀が寄宿し、三ヵ年勉学に専念した。後に講堂右に通学生が学ぶ「友于堂」、正門左に医学館「好生堂」が併設され、充実が図られた。学風は、政治や経済に役立つ「実学」を奨励、多くの有為な人材を輩出したが、惜しい哉、元治元年(一八六四)の大火で類焼し、同年門東町の武芸所隣に再建された。」写真撮影月 令和元年9月。
名前 |
藩校興譲館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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藩校があった場所に建てられた石碑です。隣には背の高い石柱があります。