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名前 |
子爵榎本武揚 書 神力紀功之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
明治時代、たつの市御津町で丸尾重次郎により見いだされた元祖多収量米「神力」はその特性ゆえに、大正末期まで西日本の稲作作付けを席巻しました。それまでの稲の収穫量が面積比25%アップし、飢饉がなくなり、備蓄が可能となり、国税も大きく増収しました。当時、初めて開発された化学肥料と共に爆発的な人気となり、全国からの出荷要請に対応するため、たつの市のほぼ全域が種籾田となりました。日本の近代農業はここから出発しました。神力米のみで当時のお金で一億円以上の税収アップをもたらしました。それを当時の政府が顕彰した碑で、当時の担当大臣、榎本武揚によるものです。御津町には山形有朋の側近No.1であった平田東助伯の顕彰碑が残されています(山形有朋は御津町出身の肥塚龍と親友でした)。なお、現代、御津町では140年前の神力米を復刻し栽培しています。