スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
大内義長の裁許状 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.3 |
大内氏がキリスト教を認めていなかったら、直ぐ側にある聖堂も無かったかもしれないです。そして、大内氏がキリスト教を認めた事により、県民にも市民にもキリスト教が浸透しました。大内義隆や大内氏に感謝です。イエズス会士のトーレス等に対して、教会の創建を許可した書状です。大道寺裁許状とも呼ばれています。大道寺裁書許状は、原文の日本文を再現した木版画と、そのポルトガル語翻訳とともに(マフェイ全集)第2巻として掲載されました。大内義長は、陶晴賢に滅ぼされた大内義隆の後継ぎとして、大友氏から養子として迎えられました。大内義長は、トーレス等と共にイエズス会士にキリシタン教会である大道寺の創建を許可しました。当時、外国人を蛮人扱いしていた日本人からすれば、これは異例とも言えた大事な一大事ですね。