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名前 |
松尾城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
南北朝時代に南朝方の佐川四郎左衛門の居城であったと伝わります。興国元年(1340)に北朝方に敗れ、翌年には津野氏に攻められて城を放棄。津野氏の縁者の中村氏が城主となり、佐川越中守と名乗りました。以後、180年間にわたって姫野々城を本拠地とする津野氏の前進基地であり続けたそうです。長宗我部時代になると佐川城の投稿で書いたように、久武内蔵助が城主となりますが、佐川城を築いて松尾城から移り、松尾城は廃城となりました。理由は松尾城が水の便が悪かったからだそうです。長宗我部系山城の特徴である畝状竪堀&多重堀切が施工された大規模な城ですが、多重堀切は13条にも及びます。松尾八幡宮の社殿裏から登ります。法面工事が終わって立派な階段が設置されています。階段登ったら石塔がある左の方ではなく、右手に進んでください(ちょっとわかりにくい)。ずっと登っていくと出城を経由して、畝状竪堀の1条に至ります。主郭の東の尾根に十三連続の堀切(浅い堀が多く藪でわかりにくいですが)、北へ伸びる尾根にも多重堀切がみられます。神社の社殿の東に佐川越中守の墓があります。また神社前の通りを東に行ったところ(G72X+9VF 佐川町、高知県)の民家の塀と塀の間に「松尾古城大手門跡」の石碑があります。神社の鳥居の東に駐車場(G72W+RC5 佐川町、高知県)