内藤湖南先生の晩棲跡で、静寂を感じる。
2024年8月15日にかねてからの念願叶い、訪問することが出来ました。狩野亨吉先生に見出され、京都帝大の教授となり、東洋史学の大家となられた先生です。特に漢籍の研究では、国内で初めて紹介された内容が大変多かったと思います。出身地である秋田県鹿角市十和田毛馬内には、中学校の敷地に日進無彊の石碑が建っています。恭仁山荘は、公開されていませんが、外観を見ることが出来て良かったです。
名前 |
内藤湖南先生晩棲跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒619-1106 京都府木津川市加茂町例幣板谷垣内39−39 |
評価 |
5.0 |
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この場所には「内藤湖南先生晩棲の跡」と刻まれた石碑があり、石碑の横にある家が内藤湖南が晩年を過ごした恭仁山荘になりますが、普段は門は閉じられていますね。内藤湖南は京都帝国大学の元ジャーナリストの歴史学者で、日本の東洋学の枠組みを作った人という位置付けになります。しかしながら単なる歴史の研究者という訳ではなく、実際の政策にも影響を与えていたようです。この場所には、頻繁に戦前の日本政府の要人や満州国の総理大臣が教えを乞いに来たりなどしており、晩棲といいながら加茂駅を降りて内藤湖南に会いに来る車や人力車は絶えなかったそうです。第二次大戦初期の日本対外政策の舞台裏の一つだったのでしょう。内藤湖南と聞くと延々と話し始める高齢の父はいまだに健在、私自身はボケ防止目的でたまにこの石碑の話を父に振ってます。