妙泰山南麓、弥生時代の遺跡探訪。
朝臣才ノ木遺跡の特徴
妙泰山の南麓に位置する歴史的な弥生時代の遺跡です。
中世の貴重な文化を感じることができる場所です。
朝臣才ノ木遺跡で遺産を間近に体験しませんか。
妙泰山(朝臣山)の南麓に広がる弥生時代から中世の遺跡。須恵器、土師器、陶磁器が出土している。この場所には妙泰神社と海岸寺があった。海岸寺という名前から海岸寺ができた当時はこの近くまで海が迫っていたと思われる。海岸寺は江戸時代末期に廃寺になり、本尊の阿弥陀如来像はこの場所にあった妙泰神社に安置されたあと、1910年に政府の指導で妙泰神社が大年神社に移されときに当時の西山田の青年倶楽部(現西山田公民館)に移されている。海岸寺に残された墓石はその時に御津中学校西側の墓地に移された。海岸寺は揖保郡三十三所の観世音菩薩巡礼になっていた。妙泰神社は現在、大年神社内にある。妙泰神社は朝臣庄之内地区の氏神であるが、元々、妙泰神社があった場所と庄之内地区が不自然に遠い。これは、元々、庄之内の集落が妙泰山山麓にあって、浄泉寺周辺が米の集積地と富嶋川を使った米の積み出し地となったことから、集落が妙泰山山麓から現在の浄泉寺周辺に移動したためと推測する。朝臣才ノ木遺跡は、西芝電機の社宅を経て栄町(桜新町)になり、遺跡の面影は残っていない。
| 名前 |
朝臣才ノ木遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
2.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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今は雑草が生い茂り見るべき物は全くありません。重電企業の社宅、今は桜新町という住宅地になってます。江戸時代まで、妙泰山海岸寺がありました。名前は手前まで海だったからです。建立は応永27年(1420年)以前。宗派は天台宗でした。成徳3年(1713年)の「海岸寺薬師霊像刻巖記」が残っています。当初は萱葺き草堂でした。寺のピークは元禄6年(1693年)で医王殿が建ち、薬師如来三像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将像があり、医王殿には宝鏡があったそうです。「医王閣」の扁額は今も西側の西山田公民館に本尊とともに祀られています。江戸中期以降、天台宗の寺は浄土真宗へ転宗して行きましたが、海岸寺は天台宗のままでした。江戸中期に檀家が激減し、経営難に陥り廃寺となりました。明治43年(1910年)小社合併の調査時に再発見され、西山田公民館の管理となったそうです。明治21年までは土塀、墓石、井戸が残っていたようです。この井戸は水が良く、醤油の仕込みに周辺集落からも汲みに来ていたようです。また、平成16年度の御津町教育委員会の発掘調査では15~16世紀の備前焼、土器、中国製陶器が出土しています。墓石は朝臣地区の墓地に移転されています。こういう調べ物をするのは面白いですが、今は全く何もなく、ヤブ蚊とダニに注意するだけで行く価値は全く無いと思います。