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名前 |
朝臣才ノ木遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
今は雑草が生い茂り見るべき物は全くありません。重電企業の社宅、今は桜新町という住宅地になってます。江戸時代まで、妙泰山海岸寺がありました。名前は手前まで海だったからです。建立は応永27年(1420年)以前。宗派は天台宗でした。成徳3年(1713年)の「海岸寺薬師霊像刻巖記」が残っています。当初は萱葺き草堂でした。寺のピークは元禄6年(1693年)で医王殿が建ち、薬師如来三像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将像があり、医王殿には宝鏡があったそうです。「医王閣」の扁額は今も西側の西山田公民館に本尊とともに祀られています。江戸中期以降、天台宗の寺は浄土真宗へ転宗して行きましたが、海岸寺は天台宗のままでした。江戸中期に檀家が激減し、経営難に陥り廃寺となりました。明治43年(1910年)小社合併の調査時に再発見され、西山田公民館の管理となったそうです。明治21年までは土塀、墓石、井戸が残っていたようです。この井戸は水が良く、醤油の仕込みに周辺集落からも汲みに来ていたようです。また、平成16年度の御津町教育委員会の発掘調査では15~16世紀の備前焼、土器、中国製陶器が出土しています。墓石は朝臣地区の墓地に移転されています。こういう調べ物をするのは面白いですが、今は全く何もなく、ヤブ蚊とダニに注意するだけで行く価値は全く無いと思います。