歴史を感じる三箇城址の神社。
三箇城跡の特徴
永禄5年、城主の三箇頼照が洗礼を受けた歴史がある。
だんじり車庫前に位置する神社が目印となっている。
三箇城址は、地域の歴史を感じる貴重なスポットである。
永禄5年、城主三箇頼照はキリスト教の洗礼を受けサンチョと称した。天正10年の本能寺の変で城主三箇氏は明智光秀に与したため滅亡した。その後白井氏の城となるが、天正15年の秀吉のキリスト教禁令後、教会と共に廃城となった。
主郭跡付近に菅原神社があったのだろうか?三箇島の湖岸線は今も明瞭に確認出来る。三箇は深野池西側に浮かぶ複数の島の地名である。池の水位によって3つから4つの島で構成されていたとされる。主郭部がどの位置にあったのかは分かっていない。比定地候補として三箇菅原神社社地や、大畑の廃慶岸寺跡が挙げられる。1582年本能寺の変の際に三箇氏は明智光秀についたが山崎の戦いで光秀が敗れたため、羽柴軍により三箇城と教会も含めた城下は焼きはらわれた。
何もありません1メートル位の楠木があるだけです。
ガッカリするよ。
石碑のみ残る。
三箇城は少なくともこの近くにあったことは確からしい。城の隣に南蛮寺(カトリック教会)があり、2000名の信徒がいたらしい。後にキリスト教が禁圧されて、彼らの多くが集った隠れキリシタンの寺が野崎観音とのこと。
三箇城がこの付近にあったという伝承だけ。 湿地の中州に、砦らしきものがあっただけでは?と考えられる。
だんじり車庫前の神社。祭りと正月のときはよく賑わう。落ち着く場所である。
石碑があるだけ。歴史的なボイントなので展示物も考慮して欲しい。
名前 |
三箇城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
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城跡は神社となってます。訪れた日は、秋祭。太鼓台の出発の時で大勢の人が集まってました。