びわ湖と大津城跡の朝陽。
大津城跡 石碑の特徴
安土桃山時代の大津城跡では、歴史を感じることができる。
京阪びわ湖浜大津駅近くの花噴水が魅力的で、景色が楽しめる。
琵琶湖の美しい朝陽が見られ、広々とした空間で遊べる。
大津城の跡になります。道端にひっそりと石碑が設置されていました。気にしなければ通り過ぎてしまいそうです。
築城は天正14,15年頃で坂本城の遺材が用いられた。初代城主は浅野長吉(長政)で1600年京極高次城主の時、西軍との大津籠城戦(和睦して陥落)で大破し遺材は膳所城、彦根城に移された。大津城天守は彦根城天守に転用されてるとのこと。(以上、日本城郭体系より)関ヶ原戦いで捕縛された石田三成は家康がいた大津城の門前で晒し者にし大阪へと護送。城石碑のある場所が本丸で、現地縄張り図によると本丸から南側に半円状に奥二の丸、二の丸、三の丸と展開した水城のようです。今は市街地で当時の面影はないですね。
2023/1/9訪問びわ湖浜大津駅からスグの場所に石碑がありました。石碑の辺りが本丸があった場所。大津城の遺構は見当たりません。大津城の天守閣の一部は、彦根城に移築されたようです。
大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった日本の城。現在の滋賀県大津市浜大津、びわ湖浜大津駅(京阪京津線・石山坂本線)周辺一帯にあった水城である。二の丸・三の丸は内陸側にあり、本丸は当時の琵琶湖岸に面し、共に港の機能を担っていたが、現代の大津港はその沖側を埋め立てて建設されている。関ヶ原の戦いでは激しい城の攻防戦が行われた。その騒音は連日京都にまで届き、市民の中には弁当と水筒持参で見物に行く者まで出たという。戦後に廃城となり、天守などが膳所城や彦根城に移築されたと伝えられる。彦根城の天守がかつての大津城天守の用材を転用して建てられている可能性が、昭和32年(1957年)に行われた彦根城天守解体修理の際に符号、墨書きが見つかったことを根拠に示されている。これにより大津城の天守は望楼型の4重5階であったと考えられている。
この石碑しかありません。本丸跡地かなぁ、という広場がありますが、そこに何かあったわけでもなし。平地の城跡はせっかくの観光地でもありますので、もう少し何とかしてほしいものです。
京阪びわ湖浜大津駅のペデストリアンデッキの上から、花噴水や大津港の船が良く見えます。天気が良い時、太陽光線の方向が合えば、虹が見えます。
琵琶湖の朝陽が美しく見える。
京阪浜大津駅付近は大津城の本丸があったであろうとする場所。今は広場になっていてミシガンが乗れるようになっています。
ここDajin港は、風景は非常に一般的な、普通の桟橋であり、何が魅力であるとは思わない。(原文)這裏就是大津港,風景甚為一般,一個普通碼頭罷了,不要期望是什麼景點。
| 名前 |
大津城跡 石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
|
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大津城跡の石碑と復元図が、歩道橋のたもとにあるのみで、城の遺構らしきものは全くありません。ちょっとしたマウンドのようなものは造成されていて、子どもたちのよき遊び場になってます。琵琶湖ホテルの西側、琵琶湖畔に近いところにありました。大津駅からは、琵琶湖畔方面に1kmほど下ったところです。